小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

998 ピストリウスの活躍に爽快感 もうひとつのロンドン五輪

  このブログで「義足のランナーに五輪資格を」と書いたのは、5年前の2007年12月のことだ。北京五輪(2008年8月)を前に、南アフリカの義足の男子短距離ランナー、オスカー・ピストリウス選手(現在25歳)が北京五輪で健常者と一緒のレースを走りたいと熱望していることを紹介した。彼は結果的に北京五輪には出場できなかったが、今回のロンドン五輪ではヒーローとして注目を集める存在になった。彼の活躍に拍手を送ったのは私だけではないだろう。

  先天性の障害で両足とも膝から下がないピストリウスは、たぐいまれな身体能力と厳しい練習で南アの代表的陸上競技短距離選手になった。北京五輪400メートルの出場を目指したが、国際陸連(IAAF)は、ピストリウスが使用するカーボン繊維製の義足は人工的な推進力を与え、競技規則に抵触するとして健常者のレースでは使用できないとの決定を下し、五輪の門を閉ざしてしまった。

  その後、スポーツ仲裁裁判所(CAS)が健常者のレースに出場することを認める裁定を下し、参加標準記録を突破すればオリンピックに出場できることになった。しかし、記録突破はならず、北京には行くことができなかった。だが彼はあきらめずに記録を伸ばし続け、昨年、韓国で開催された世界陸上に出場し、南アチームの4×400メートルリレー銀メダル(決勝は別の選手が出場したが、予選に出た彼にもメダルが授与された)獲得に寄与している。さらに、400メートルの五輪標準記録も突破、今回は健常者のレースとパラリンピックの両方の出場資格を取った。

  ロンドンでは個人の400メートルで準決勝まで進み、4×400メートルリレーでは決勝のアンカーを務めた。最下位(8位)に終わったものの、ゴールするピストリウスに送られた拍手は、ウサイン・ボルト(ジャマイカ)の100、200メートル優勝の時よりも大きかったのではないか。

  ちなみに彼の400メートルベストタイム45秒07は日本の歴代タイムと比較すると4番目(ベストは高野進の44秒78)に入る堂々たるものだ。

  五輪への道が開いたのは、スポーツ仲裁裁判所で米・マサチューセッツ工科大学バイオメカトリニクス研究グループ生物物理学者らの「義足が人間の足よりも優位であるという十分な証拠はない」と証言だったという。障害者のランナーで彼のように一般ランナーに引けを取らない記録を出すのは困難であり、学者の判断は常識そのものだといっていい。健常者のランナーからはピストリウスの出場に疑問の声も出ているそうだが、それは偏見というものだ。

  この競技で優勝したキラニ・ジェームズ(グレナダ)が、準決勝で同じ組で走り、ラストになったピストリウスと健闘を称え合ってゼッケンを交換した場面がテレビに映っていた。ピストリウスは、「彼とはすぐに友達になった。これがオリンピックだ」と語ったそうだ。キラニ・ジェームズのような選手こそがスポーツマンなのだ。