小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

2047 それぞれの大義の中で アフガンの歴史の潮流は

    f:id:hanakokisya0701:20210830141008j:plain

 アフガニスタン(以下、アフガン)はイスラム武装組織、タリバンの首都カブール制圧で大混乱に陥っている。連日の新聞、テレビ報道を見ながらどうしてこうなってしまったのかと、考え込む人は少なくないはずだ。ベンジャミン・フランクリンの「世の中に善い戦争も、また悪い平和も決してあり得ない」という言葉をかみしめている。

 米軍の撤退の動きに端を発した今回の混乱に乗じてカブールの国際空港近くで26日に発生した過激派組織「イスラム国」(IS)の支部組織による自爆テロでアフガン人170人、米軍兵士13人が犠牲になった。これに対し米軍は27日、東部にある支部組織を無人機で報復攻撃、幹部2人を殺害したと発表した。29日には空港近くの住宅街で爆発があり、子ども数人が死亡したと現地メディアが伝えている。負の連鎖といっていい。

大義」という言葉がある。「人間として踏みはずしてはならない、最も大事な道」「国家・君主に対する忠誠」(新明解国語辞典)という意味だ。タリバンやISには「イスラムの神に対する忠誠」が加わる。女性は抑圧の対象だ。アフガンの有名歌手・ファワド・アンダラビさんがタリバンによって銃殺されたというニュースも流れている。タリバンの報道官が「イスラム教では音楽は禁じられている」と述べた数日後といわれ、ニュースが事実なら、この歌手は見せしめになった可能性が高い。

  彼らはそうした大義を信じ、自爆テロもいとわないから厄介なのだ。しかもアメリカから支援を受けていたガニ大統領は、政権を投げ出して国外に逃れてしまったから、残された国民の困惑と絶望は大きい。アフガンから目を転じると、ミャンマーの軍部によるクーデターとデモ隊への弾圧、香港での民主派市民学生に対する弾圧と自由と平等を求める人たちへの独裁者(あるいは狂信者)たちの攻撃がやまない。

 こんなとき、ある歴史を振り返る。1789年7月14日、フランス革命が勃発した。武装したパリ市民らがバスチーユ監獄(刑務所)を襲った。しかし、獄舎にいたのは文書偽造犯(有価証券偽造)4人と精神病者2人、浪費癖(放蕩息子)の若者1人の計7人だった。当時、精神病者と放蕩息子を収監したのは、これらの人たちが「禁治産者(現在の成年被後見人にほぼ相当)」として、社会から隔離されていたからだそうだ。いずれにしろ7人は「暴君の犠牲者」として車に乗せられ、群衆の喝采を浴びた。この後フランス国王ルイ16世と王妃のマリー・アントワネットが処刑される市民革命が本格化する。監獄から解放されたのが革命とは無縁の文書偽造犯ら7人だけだったにしても、この日はフランス革命の記念日として歴史に刻まれ、毎年パリ祭が開かれているのだから、歴史は奥が深い。

  アフガンのニュースを見ながら、パキスタンで頭をタリバンに銃撃されたマララ・ユスフザイさんの顔を思い浮かべている。イギリスで命を取り留め、女性の教育を受ける権利を訴え続け、ノーベル平和賞を受賞したマララさん。市民が弾圧を受けるアフガン、ミャンマー、香港だが、逆境を乗り越え不屈の精神を持つ第2、第3のマララさんが出てくることを願うのは、私だけではないだろう。歴史は、私たちの想像を超える潮流をつくるのだ。