小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

2033 ドラマチックな五輪の人間劇 負の側面目立つ東京大会

             

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 市川崑の監督による記録映画『東京オリンピック』が完成したのは、五輪開催から4カ月経た1965年2月末だった。しかし、オリンピック担当大臣だった河野一郎や文部大臣、愛知揆一らの「記録性を無視したひどい映画」(河野)、「この映画を記録映画として推薦できない」(愛知)の反対で一部手直しせざるを得なかった。昨日開会式があった2度目の東京五輪河瀬直美監督が公式映画の監督を務めるが、政界の妨害がなく公開されることを願うばかりだ。

 市川崑の映画は芸術性が強かったため賛否両論があり、河野に同調する批判派も少なくなかったという。これにけりを付けさせたのは、当時40歳で「二十四の瞳」の主演・大石先生役で知られた女優の高峰秀子だった。東京新聞に「どうしてあの映画がいけないのか」と、市川擁護の意見を投書したうえ、単身で河野に会いに行き、市川と面談するよう説得した。結局河野と市川は3回面談、河野は市川の映画制作の意図を了解した。映画は3月20日封切られ、空前のヒットとなる。こんな話が野地秩嘉著『TOKYOオンピック物語』(小学館)で紹介されている。高峰は筆の立つ女優で、自伝は読み応えがあった。

 1年延期になって開会した今回の五輪。河瀬監督は既に撮影を進めているという。どんな内容になるのか知るすべはないが、今回は監督も困るほど話題は多いはずだ。大会関係者の辞任・解任が相次ぎ、私は競技自体より五輪をめぐる人間劇の方がドラマチックのように思えてしまうのだ。昨夜の開会式。天皇陛下が開会宣言をした際の菅首相と小池東京都知事の姿がテレビに映し出された。天皇陛下が立ち上がって開会の言葉を述べ始めても2人は座ったままで、途中これはまずいと気が付いたのか、小池知事が菅首相に目配せをするようにして立ち上がると、菅首相もようやく立ち上がった。そんな首相に対し批判の声が強い。この場面など映画になったらカットされてしまうかもしれない。

 それにしても選手たちがマスク姿で入場する開会式は前代未聞であり、コロナ禍の最中の五輪として、記憶に残る大会になるはずだ。選手たちの入場行進も時間がかかり、そのうえ橋本組織委会長とバッハIOC会長の話が長く、コロナ禍の大会であることを忘れた演出ではないかと思ってしまった。特にバッハ氏の話はテレビでは同時通訳者の声とダブってしまって、よく聞きとれなかった。「感動の薄い開会式だった」というのが、ラジオ体操仲間の一致した感想だった。コロナ禍の中で強行され、ほとんどが無観客の大会。選手たちにとっても試練の日々が続くが、開催自体に賛否の声が半ばする大会の公式映画がどんな内容になるのか、興味が尽きない。