新・小径を行く

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時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

2032 闇深き国際事件に挑む 春名幹男『ロッキード疑獄  角栄ヲ葬リ巨悪ヲ逃ス』

 

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 私にとって、ロッキード事件は記者活動の第二の原点だった。記者としてのスタートは東北・秋田であり、その後仙台を経て社会部に異動した。間もなくこの事件がアメリから波及し、末端のいわゆるサツ回り記者として、かかわることになった。春名幹男著『ロッキード疑獄 角栄ヲ葬リ巨悪ヲ逃ス』(KADOKAWA )を読み、当時のことが蘇った。あれから、45年の歳月が過ぎ、この事件は「総理大臣の犯罪」として戦後史・昭和史に大きく刻まれた。それにしても、逃した巨悪とは誰だったのか……。

 ロッキード事件は、米国ロッキード社の大型旅客機の売り込みに際し、各国要人に多額の賄賂が流れた疑獄事件だ。1976年の米国上院外交委員会多国籍企業小委員会で発覚、このうち日本関係では元首相(5億円の賄賂を受け取った当時は首相)田中角栄をはじめ政府高官、大手商社丸紅、全日空幹部らが逮捕・起訴され、戦後史に残る疑獄事件(下段に注記あり)となった。この本は第一部~第三部で構成されている。第一部は事件の発覚と田中元首相の逮捕、第二部は田中がなぜ米国の怒りを買い葬られたかのか、第三部は捜査から逃れた巨悪の正体について書かれており、15年という年月を要して集めた豊富な資料、証言を基にこの事件の「謎」に迫っている。

 この事件ではこれまで多くの本が出版され、事件をめぐってさまざまな陰謀説も流れている。例えば、ロッキード社の文書が事件を最初に暴いた米国上院外交委員会多国籍企業小委員会の事務局に誤って配達され、事件が発覚したという誤配説や、日本独自の資源供給ルート確立のために田中が積極的な資源外交を展開したことが米国の虎の尾を踏んだ資源外交説など5つあるという。これらについて、この本の中で詳細な検討が加えられ、それらの多くを根拠なしと判断している。

 最後に残ったのは、「キッシンジャーによる田中憎悪説」だ。著者は自身が発掘した米政府の文書を基に、立花隆らによる田中金脈追及で首相を辞任した田中のカムバックを阻止するため、田中の刑事訴追が可能になる状況を整えたというのが、この事件の背景にあると指摘。米国を追い抜いた形の日中国交回復など田中を嫌った理由をキッシンジャー発言などの資料を駆使して列挙している。キッシンジャーについて、ノーベル平和賞を受賞した平和を愛する元学者の国務長官という印象を持っている人は多いのではないか。しかし、この本の中で著者は「正義と混乱」より「不正義と秩序」を重視し、盗聴やだまし討ち、裏切りと言った禁じ手を使い、ライバルや邪魔者を押しのける強引な人物――という冷酷な人物像を描いている。これを読むと、キッシンジャーに対するこれまでの見方が変わるはずだ。

 東京地検はこの事件で丸紅ルート、全日空ルートについては摘発したものの児玉ルートは解明されることはなかった。この本の第三部では、捜査から逃れた「巨悪の正体」について迫っており、その巨悪が児玉であり、当時の自民党幹事長で後の首相、中曽根康弘についても「巨悪の側にいた人物」として、その疑惑を記している。さらに自衛隊の対潜哨戒機P3C導入をめぐる疑惑、1979年に表面化したダグラス・グラマン事件(米証券取引委員会がグラマン社のE2C早期警戒機の売り込みで商社日商岩井を通し岸信介中曽根康弘福田赳夫松野頼三らに秘密資金が流れたと発表。検察は日商岩井幹部だけを逮捕、名前が出た政治家は証拠不十分として立件されなかった)に関しても頁を割き、日本の政界工作にCIA(米中央情報局)が関与していたことにも触れている。

 著者は共同通信社の外信部記者として長い間アメリカ問題を中心に取材し、特別編集委員も務めた。 この本は15年に及ぶ取材の積み重ねを基にした、著者のジャーナリスト活動の集大成といっていい。ロッキード事件については未解明な部分が多いが、この本はそうした疑惑に挑んだ労作で、改めてこの事件の闇の深さを感じる。

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 この本を読んだ後、私の先輩だった板垣恭介が1998年に出した『無頼記者』(マルジュ社)という本の中で、ロッキード事件に触れていたことを思い出した。検察担当時代、特捜の鬼といわれた河井信太郎と知り合った板垣は、ロッキード事件のころ(板垣は当時警視庁担当キャップ)、大阪高検検事長を最後に退官したばかりの河井を訪ねた。板垣が田中逮捕の意味について聞くと、河井は「かつて自分の保身と栄達のために田中金脈を潰した奴らが、今度は保身と栄達のためにロッキード事件をやっているのです」と、厳しい言葉で検察上層部を批判したという。

 河井は当時の一部検察幹部やOBの名前を挙げ「奴らは小佐野賢治(田中の親友。金脈づくりに加担したと見られた)のホテルにタダで泊まり、小佐野のゴルフ場でタダでゴルフをしている」と語り、河井が地方に飛ばされた後で発生した田中ファミリー企業で田中金脈の一つといわれた「新星企業」の土地ころがし事件のことに話が及んだ。河井は「検察が本格的に(新星企業事件を)捜査していたなら、アメリカからの輸入ネタ(ロッキード事件のこと)なんかもらわなくてもよかった」という趣旨の話をし、悔しそうな顔をしたという。この事件は警視庁も検察も本格捜査はせず、田中金脈への追及はしなかった。板垣は、警察・検察に対する田中の影響力が健在だったことはこの事件の処理でも明らかと書き、その検察がロッキード事件でなぜ田中を逮捕したかについて「自民党全体を巻き込む大疑獄を食い止めるためのスケープゴートだった疑いを持っている」と推理している。

 私は社会部遊軍記者時代、ロッキード事件被告の座にありながら立候補を繰り返した田中の選挙担当となり、ある日の早朝、新潟県西山町の自宅を訪ねたことがある。秘書の早坂茂三は「社会部記者は敵だ」と言って追い返そうとしたが、田中は私を家の中に招き入れ、色紙を書きながら話をしたことを覚えている。顔の色つやはよく、生気がみなぎっている印象を受けた。選挙ではトップ当選した田中だが、ロッキード事件被告という十字架を背負っていたためかウイスキーオールドパーを浴びるように飲み、それがもとで脳梗塞を発症、1993年12月16日、75歳でこの世を去った。(敬称略)

 注 ロッキード裁判 1977年1月から丸紅、全日空、児玉・小佐野の3ルート(児玉、小佐野を別にして4ルートとする呼び方もある)に分けて進められた。児玉は一審中に、田中・小佐野など4人は一審で有罪判決を受けて上告中に死亡、他の11人も1955年までに全員の有罪が確定している。