小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

2026 山百合の香が漂う道 マスク外して一人歩き

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 山の百合山の子山の香とおもふ 飯田龍太 

 近所まで出かけた帰りに、人気のない道を歩いていると、山百合の香りが漂ってきた。マスクを外して、その懐かしく甘い香りを深く吸い込んだ。コロナ禍の中で一人歩きのぜいたくな気分を味わった。誰かがいたらマスクをつけるから山の香に気付かずに、通り過ぎたかもしれない。

  元々原野だったところを整備した公園の山道脇の斜面に、今年も山百合が咲いた。その姿を見ると、遠い昔のことが蘇る。学校へ通う道。途中、両側に切り立った崖があった。向かって右側の崖の上には古い神社が、左側の上にはお地蔵様を祀る祠があった。周辺は薄暗く、晴れた日はいいが、曇りや雨の日は薄気味悪い。

 今ごろの季節には崖の斜面に山百合が咲く。その香りを私は飯田龍太と同様、山の香りだと思った。飯田龍太ホトトギス派の代表的俳人飯田蛇笏の四男で、山梨県笛吹市で生涯を送った俳人だ。冒頭の句のように、自然への深い洞察が特徴の句を詠んだことで知られる。

『散歩で出会う花』(久保田修新潮文庫)を開くと、「山野の草原や雑木林の縁などで見られる。花は茎上部に複数あり10個を超えることもある。芳香が強い。花弁は白色で黄色い筋と赤褐色の斑点がありよく反り返る。ユリのなかでも花は大きく、サクユリなどの有名な大輪の変種もある」という解説が載っていた。私が歩いた山道の脇に咲いていたのは、いずれも一輪だけしか花はなく。やや寂しい。それでも、芳香は強く、百合たちのいのちの輝きを感じるのだった。

 7月下旬。夏休みに入ると、私は兄と一緒にこの近くの雑木林に足を踏み入れるのが日課だった。私たちは、けんかをさせて楽しむためにクワガタを捕まえるのだ。カブトムシは兄も私も全く興味がなかった。兄はクワガタが生息している木を覚えていて、幹を足で蹴って揺らす。すると、ぱらぱらとクワガタが地面に落下する。大きい奴を見つけて、持ってきた籠に入れて、家に持ち帰るのだ。もちろん、カブトムシには目もくれない。兄がいない時、私は勇気を出し一人で薄暗い森に入り、見よう見まねでクヌギやコナラの木を揺らしてクワガタを捕まえた。近くには山百合の花が咲いていて、その香りが私を包み込んでくれているようだった。  

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 今も故郷のあの道には、山百合が咲いているはずだ。しかし、現代の子どもたちがクワガタを求めてあの森に入るかどうかは分からない。

 

 写真 1、2枚目は山道に咲いた山百合。3枚目は散歩コースで見かけた庭先に咲いた山百合(こちらは一本の茎に多数の花が付いていた)