小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1236 薔薇が咲く季節 香りに誘われて…

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薔薇の季節になった。薔薇好きが高じて、バラ園を運営しながら句作を続けた俳人がいる。長い間、俳誌「みちのく」を主宰した原田青児(2013年1月、94歳で死去)である。作家で俳人倉阪鬼一郎が原田のことを「薔薇の俳人」と呼んでいるように、原田は数多くの薔薇に関する句を残した。 原田以外でも薔薇は俳人たちの心を動かすようで、かなりの名句が生まれている。薔薇は古代から色と香りが愛されてきて5月が最盛期である。香りに誘われて歩いていくと、見事な薔薇が咲いている庭に行き当たった経験は多くの人が持っているだろう。 薔薇の野生種は世界に約200種、日本にも約10種あり、園芸種はヨーロッパと東西アジアの原産種が複雑に交配されたものだ(俳句歳時記)という。17世紀、フランスのルイ14世の時代に知られていた薔薇の花は4種しかなかったそうだから、現在の薔薇の人気は当時の人々から見たら、驚くべきことかもしれない。日本でも薔薇の開発が積極的に進められており、その数は数千種にも及び、青い花の薔薇誕生のニュースが出たのはちょうど10年前のことだった。 庭に薔薇を植えて楽しんでいる人たちも多く、知り合いの何人かは数多くの薔薇の手入れに精を出している。近所にも素晴らしい薔薇の庭園を造った人がいた。しかし手入れが大変なためか数年ですべてを切ってしまった庭を目にして、私は5月の散歩の楽しみを奪われたような気がした。 冒頭の原田の句に「薔薇よりも濡れつつ薔薇を剪りにけり」というのがある。薔薇をかばうようにしながら、薔薇よりも雨に濡れて花を切っている姿が目に浮かぶ句だ。中村草田男「咲き切って薔薇の容(かたち)を超えけるも」(満開の薔薇は、薔薇本来の姿、形を超える美しいものもある)も好きな句だ。たしかに、今の季節、薔薇を眺めていると、そんな気がするのだ。5月の夕暮れ時は、こんな味わいもある。「夕風や白薔薇の花皆動く」正岡子規) 前回の俳句に関するブログ「桐花の香りに包まれて 奇麗な風吹く散歩道」で、今の季節はきれいな風が吹いていると書いた。それは自然界のことであり、なにやらわが日本の政界は生臭い風が吹き続けているといっていい。13人全員が集団的自衛権行使に賛成のメンバーで組織した「私的諮問機関、安保法制懇」の報告書を根拠に、集団的自衛権の行使を目指すという安倍首相の政治手法は、きつい言葉でいえば「やらせ」そのものだ。それは「茶番劇」を見ているようで、悪夢としか思えない。 報告書のメンバーの名前を確認して「史記」から出た「曲学阿世」という言葉を思い浮かべた。 手元にある4冊の辞典を開くと―。 曲学をもって権力者や世俗におもねり人気を得ようとすること。(広辞苑・第4版) 学者としての良心を曲げてまで、為政者や大衆のごきげん取りに、うき身をやつす。当世風の学者。(三省堂新明解国語辞典・) 権力者や世間の人々の気に入られようとして、学問上の真理にそむいた説を唱えて、時勢に調子を合わせること。「語源」学を曲げてもって世に阿るなし〈史記〉から出た語。(旺文社・国語辞典) 時勢に調子を合わせて学問上の真理にそむいた説をとなえること。(旺文社・国語総合新辞典) 広島原爆の悲惨さを描いた井伏鱒二の名作「黒い雨にも」こんなセリフがある。「一日に四合というのを、三合と書きかえるのは、曲学阿世の徒のすることです」。 これは、宮沢賢治の有名な「雨にも負けず」の詩に出てくる「一日に四合の玄米と味噌と少しの野菜を食べ…」が学校の教科書では「三合」と書き換えられたことを隣組の奥さんが話すくだりで出てくる。戦時中に配給が三合になったため、それにあわせて教科書の賢治の詩も書きかえてしまったというのである。憲法の改正は大変だから、解釈を変えてしまえばいいという論法は、この話によく似ていると思う。いま、日本では薔薇以外にあだ花が咲いているようだ。 薔薇に吹く風は何色心色
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