小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1253 ユリの季節 牧野富太郎の考察を読む

画像

 百合の香を深く吸ふさへいのちかな

 ハンセン病の療養所で生涯を送った俳人、村石化石(ことし3月8日、91歳で死去)の句。 百合の季節である。その芳香が庭先から漂ってくる。その近くで、昨年7月30日にこの世を去ったわが家の愛犬、hanaが眠っている。

 植物学者の牧野富太郎は「植物知識」(講談社学術文庫)という本の中で「ユリ」について考察を加えている。この短文がなかなか面白い。「ユリ」は漢字で「百合」と書くが、牧野によると、百合は白い花が咲く中国特産の種類で、地下の球根に多くの鱗片が「層々と重なっているから」百合というのだそうだ。

 日本の学者は百合とは「ササユリ」といっているが、ササユリは日本の特産で中国にはないから、これを「百合」と書くのは間違っている―というのである。 さらにユリの語原についても、筆が及んでいる。少し長いが、以下に紹介する。

 日本産のユリには多くの種類があれども、一つも百合にあたるものはない。ゆえに百合を、日本のいずれのユリにも、それに対して用いてはならない。世間の女の子によく百合子があるが、これは正しい書き方ではない。ゆえにユリコといいたければ、仮名でユリ子と書けば問題はないことになる。

 (中略)実をいえば百合の字面を日本のユリから追放すべきもので、ユリの名は語原がまったく不明である。また昔はユリをサイといったらしいが、これもその語原がわからない。しかしユリの想像語原では、ユリの茎が高く延びて重たげに花が咲き、それに風が当たるとその花が揺れるから、それでユリというのだ、といっていることがある。

 

 この「風に揺れる」説のほかに、八重括根(ヤヘククリネ)、花が傾く「ユルミ(緩み)」、鱗茎が寄り重なる「ヨリ(寄り)」などの説もあると「語源由来辞典」に出ている。それにしても花が風に揺れる―という説は、風情があっていい。

「起ちあがる風の百合あり草の中」(松本たかし)という句もあり、野に咲くユリの姿が浮かんでくる。 自由律俳句の種田山頭火は句集「草木塔」の「山行水行」で「百合咲けばお地蔵様にも百合の花」という句を残した。

 季節は夏、放浪の旅をする山頭火は通りすがりの山道の脇に咲くユリの花を見る。しばらく歩くとお地蔵様があり、そこにはユリの花が供えてあった―という情景だろうか。

 新聞やテレビのニュースは世界中のきな臭くて、悲惨なニュースを繰り返し伝えている。気持ちが暗くなることが少なくない。そんな日々にあって自然の花を眺めることは、心の安らぎになる。