小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1233 桐花の香りに包まれて 奇麗な風吹く散歩道

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 都市部ではほとんど見かけなくなったのが桐の木だ。その桐の木が私の散歩コースの調整池の斜面に2本ある。花の季節を迎え、大きくなった2本の木は薄紫の花をびっしり咲かせている。花を見上げていると、紫の花から何やらかぐわしい香りが漂ってくる。

 正岡子規は5月から6月にかけての季節を「六月を奇麗な風が吹くことよ」と詠んだが、いま、調整池の周囲にもきれいな風が吹いている。 桐は成長が早い半面、木質は湿気を通さない、割れ目がないなど、質のいい高級木材として下駄やタンスなどに利用されている。桐のタンスを嫁入り道具に持っていくという時代もあったという。

 調整池の2本の桐は、自生なのか植えられたものか、由来は不明だが、27年前に私がこの街に移り住んだ時には小さな木だった。それが現在では10メートルほどに成長、花も数が多く、紫に包まれた大木は見事である。

 俳句歳時記(角川学芸出版)の桐の花の項目には「桐はゴマノハグサ科の落葉高木。5月上旬、枝先に大型の円錐花序を直立させ、筒状の紫色の花を多数つける。材の品質が良く古くから栽培されるが、自生もする」という説明があり、その後に12首の句が紹介されている。そのうち以下の句が私は気に入った。

 あを空を時の過ぎゆく桐の花 林徹

 くもりのち雨のあかるさ桐の花 山口速

 桐の花らしき高さに咲きにけり 西村和子

 桐咲いて雲はひかりの中に入る 飯田龍太

「極めつけの名句1000」(同)にも、桐の花の句はある。そのうちの2首。

 桐咲くやあっという間の晩年なり 田川飛旅子

 桐の花人の世よりも高く咲き 河野南畦

 市名に桐があるのは栃木県桐生市だ。由来は、桐が多く自生する土地からだという説(別の説もある)もあり、桐は同市のシンボルになっているそうだ。ただ、現在も桐生市に桐が多く残っているかどうかは分からない。

 杉本秀太郎は「花ごよみ」(講談社学術文庫)の中で、「桐の花香はけっして強烈ではない。さりとて、ほのぼのとした香りと形容するのも当たらない。気づいておやと思う間に、たちまち全身を包み、皮膚が染みとおり、心のひだに流れこむ。何とも知れぬ遠い世に生まれ代ったような気持ちがわき起こってくる」と書いている。

 夏目漱石「聖人の生れ代りか桐の花」という句を残している。「夏目漱石はおそらく香りからこの連想を得た。中国聖代の天子、尭、舜の治める世が、漱石の脳裏にまぼろしのように浮かんだのである。万物がそれぞれの持ち前をたもちつつ和薬に充ちていた世には、人も、鳥も獣も、桐の花香に包まれて生きていたのか」と、杉本は続けている。桐の花の香りに包まれた朝の散歩はすがすがしい。

 桐の花ともに見上げた母を恋う

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