1490 でんでん虫の季節 白居易の詩に思う
梅雨は憂鬱(ゆううつ)な季節だ。じめじめしていて気持ちもカラッとしない。うっとうしいニュースも少なくない。朝、散歩をしていると、道の真ん中にカタツムリが2匹いた。道を横切ろうとしているようだ。カタツムリも懸命に生きようとしているのだろう。
飯田龍太は山梨県出身の俳人で、生涯のほとんどを山梨で過ごした。父親はホトトギス派の飯田蛇笏。山本健吉はこの句について「甲斐の山々も、信濃の山々もかくして、雨が降る。想裡の大景の中に、一点ぽつりと、一匹の蝸牛を置いた。『かたつむり』で、如何にも梅雨時らしい季節感が浮かぶ」(新潮社『句歌歳時記 夏』)と評している。
「かたつむり」の後に故郷の甲斐(山梨県)とその隣の信濃(長野県)を置いたことで、句の広がりを感じる。かたつむりは漢字では「蝸牛」と書く。「蝸牛」は中国から伝来した熟語。「蝸牛角上の争ひ」という荘子の寓話で、唐時代の詩人、白居易(白楽天)も「蝸牛角上の争ひ」を使って「対酒」(さけにたいす)という詩を書いている。
蝸牛角上爭何事 石火光中寄此身 隨富隨貧且歡樂 不開口笑是癡人 (私の意訳。この世は「カタツムリ」の角の上のような狭いものなのに、何をこせこせと争うのか。私たちの人生は石火=石を打つと出る火花=みたいにはかないものなのだ。富める者も貧しい者も、それなりに酒を飲んで楽しもう。口を開けて高らかに笑わず、思い悩みながら人生を送る者は愚かな人だ)
この詩のように、この季節こそ楽しみながら酒を飲みたいと思う。どんな境遇に置かれても、嘆くことなくこせこせしないで一日を送りたいものだ。
ここまで書いてきて、小学校で習った「かたつむり」の歌を思い出した。「でんでん虫虫かたつむり、お前の頭はどこにある。角出せ槍出せ目玉出せ」という歌だ。この歌にもある通りカタツムリは「でんでんむし」とも呼ばれ、地域によっては「でで虫」や「まいまい」と呼ぶそうだ。
中村幸弘著『難読語の由来』角川書店)によると、「でんでん虫は子どもが『角よ、出い出い』と言ったことからこの呼び方になったという。私は小さいころ、「でんでん虫」と言っていたが、いまは「カタツムリ」派になっている。