小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

2022 学校へ行く道 黄金色に輝く麦秋の風景

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 一人の少女が泣きながら登校している。 背負っているランドセル。 黄色い交通安全のカバーが付いているから、小学校1年生だ。 なぜ、泣いているのだろう。

 小学校の方から歩いてきた、赤ちゃんを抱いた若い女性が聞いている。「どうしたの。困ったことがあるの」と。

 散歩から帰る途中の私。遠い昔、こんなことがあったと思い出す。

  女性の問い掛けに、女の子は首を振りながら歩いていく。人に話すほど困ったことはないと。でも、泣き続ける。女の子が寝坊して、親に叱られたのか。親が寝坊して、家を出るのが遅れて誰もいないのが悲しいのか。だれかにいじめられたのか……。

 理由は分からない。少し前に子どもたちは集団で登校し、彼女は一人ぼっちだった。女性はあきらめたように、その場を去っていく。

  私も昔、学校に行くのが嫌だった。小学1年生のころだった。一緒に行く友達はまだないから、途中まで祖母に送ってもらう。それが恥ずかしく、祖母から離れ、通学路脇の畑に入り込んで逃げ回った。そこは茶畑であり、麦畑だった。祖母の大声で叱る声があたりに響く。それも恥ずかしい。

 仕方なく、うなだれて祖母の下に戻る。祖母と別れると、涙が出てくる。それをこらえながら、とぼとぼと歩き続ける。夏休みまでの一学期、そんな日が珍しくなかった。

  人は、学校へ行く道を忘れないだろう。泣きながら登校したあの子も、いつの日か、泣きながら登校した今朝のことを思い出すかもしれない。それでも、こんな日ばかりではない。

 ジョン・ラスキン(イギリスの思想家・評論家)は「学校へ行く道」という詩に書いている。

《冬になって氷が張ると、冬になって雪がふると、学校へ行く道は長く、さびしい。その道を生徒が行く。

  だが、愉快な春が来て、花が開き、鳥が歌えば、学校へ行く道のなんて短いことか。そうして楽しい時間の短いこと。しかし、勉強が好きで、知恵を得ようとはげむ子には、学校へ行く道はいつでも短い。照る日も、雪の日も、また雨の日も。(以下略・日本少国民文庫より)》

  少女にとって、今朝の学校へ行く道は長くさびしいものだっただろう。私もそうだった。だが、友だちができ、風景を楽しむ余裕が生まれると、学校へ行く道は短くなった。黄金色に輝く麦秋の風景が私を見送ってくれていた。

 今朝は泣いていた少女。明日は友だちと笑い合いながら、歩いているだろう。