小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

2023 季節の色を描く 緑の『調整池』風景

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  四季折々、季節にはさまざまな色がある。どんな色が好きかは、人によって異なる。とはいえ、緑が嫌いな人は少ないのではないか。梅雨が続いている中で、緑がひときわ美しく感じるこのごろだ。ラジオ体操仲間のNさんは、私の散歩コースである『調整池』をテーマに、季節の色ともいえる緑を基調に1枚の絵を描いた。日常目にする風景だが、新鮮な感覚になるのも絵画が持つ力なのだろう。

  同じ6月という季節。ゴッホは黄色を前面に出した絵を描いた。黄色に目覚めたことによって後世に残る作品を残すことができた、と言っても過言ではないだろう。「黄色という色が自分を変えた。南仏の光に出会ってようやく自分は日本の浮世絵師たちのようになれた。あのくっきり感が出るんだ」。ゴッホは手紙の中で、黄色という色彩についてこのように書いている。ゴッホがパリから南仏プロヴァンス地方のアルルに移り住んだのは1888年2月のことだった。そして、作品にも描いた「黄色い家」を借り、黄色い色を絵に取り入れていく。『ひまわり』『麦畑』『種まく人』など黄色を基調とした作品群は、アルルで生まれている。

  色彩感覚という言葉がある。色を感じ取る能力、色を使いこなす能力、色を見分ける感覚……といった意味がある。絵を描くということはこの能力が優れているということであり、ゴッホをはじめとする美術史に残る画家たちは当然この範疇に入るし、Nさんら日曜画家も含まれる。ゴッホは黄色を使いこなす能力を発揮した。Nさんは緑の色を見分け、今回の絵に取り入れた。Nさんの絵には実際の調整池を構成する「水を貯えた池の部分とその後方の森」はなく、調整池全体の半分以上を占める湿地とその後方にある家並みが描かれている。

 湿地は大雨になると水がたまるものの、ふだんは雑草と雑木が生い茂っている。周辺は鶯や雉も数多く生息し、緑の色が目に優しいだけでなく耳にも鳥たちの鳴き声が心地いいから、散歩をする人が少なくない。調整池の魅力はもちろん夏だけではない。四季折々に姿を変えて、私たちを迎えてくれるのだ。私がそんな池の四季を撮影し続けて30数年が過ぎている。

  私はNさんの絵を見ていて、東山魁夷の『萬緑新』という作品のことを思い出した。2008年、東京国立近代美術館で「東山魁夷生誕100年」記念回顧展が開催され、ふだんは皇居吹上御所にあるこの絵も展示されていた。タイトル通りに緑がひときわ目立つ作品は1961年、福島県猪苗代町翁島を描いたもので、猪苗代湖の湖水には杉木立が映し出され、木々の緑が目に優しい。

 私は前日とこの日JRを利用して、福島を往復した。常磐線特急で水戸まで行き、水郡線に乗り換えて茨城、福島へと進んだ。1泊して、水郡線常磐線という逆のコースで東京に戻り、夕方、近代美術館へ立ち寄ったのだった。季節は4月下旬、水郡線の車窓からは曲線を描いた緑の山並みが広がっているのが見えた。時折、久慈川の川面に緑の木々が映っている。そうした風景は、「萬緑新」の世界と既視感があった。それは静謐さが漂う世界だった。 

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写真1、Nさんの水彩画 2、私がスマートフォンで撮影した26日朝の調整池風景