小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1918 夏の風物詩ヒマワリ物語 生きる力と悲しみの光と影

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 ヒマワリの季節である。8月になって猛暑が続いている。そんな日々、この花は勢いよく空へ向かって咲き誇っている。「向日葵の百人力の黄なりけり」(加藤静夫)の句のように、この黄色い花がコロナ禍の世界の人々に力を与えてほしいと願ってもみる。よく知られているゴッホの《ひまわり》の絵もまた、その力強い筆致でコロナ禍におびえる私たちにエールを送ってくれていると思いたい。

 この花は、北米原産のキク科の一年草で、日本には約300年前(江戸時代、8代将軍徳川吉宗の時代)に入ってきたといわれる。詳しい花の説明は不要だろうが、ギリシャ神話では太陽神のアポロに恋焦がれて死んだ水の精クリュティエが変身し、いつも太陽の方角に顔を向けているとされている。しかし実際に太陽の方向を向くのは、つぼみが大きくなって開花する時だけだそうだ。  

 コロナ禍によって臨時休校があったため今年の夏休みは短縮され、既に学校が始まった地域もある。短い夏休みの終盤を送っている子どもたちもいる。子どもたちにとってことしの夏休みは、どんな思い出が残るのだろう。私は夏休みといえば、ラジオ体操、麦わら帽子、アブラゼミ、アイスキャンディー、昼寝、夕立ち、そしてヒマワリ……を思い出す。これらは夏の風物詩でもあり、私の家の庭でも背が高いヒマワリが咲いていた。最近は散歩をしていてヒマワリを見かけることが少なくなった。寂しい限りである。  

 この花の表記は、植物としては「ヒマワリ」だが、絵画の題名や文学作品、歌の題名では「ひまわり」「向日葵」も使われ、多彩である。そのほかにも「日車」「日輪草」「天蓋花」という呼び方もあるそうだ。花をテーマにした歌を紹介している『メロディに咲いた花たち』(三和書籍)のなかの「向日葵」の項目を見ると、この花を歌った34曲が出ている。花を歌った曲は数多いが、この本で見る限りひまわり=向日葵が断トツだ。それだけこの花は歌に向いているのだろう。さだまさし中島みゆき松任谷由実松山千春高橋真梨子矢沢永吉桑田佳祐、ゆず、岩崎宏美福山雅治岡村孝子といった著名な歌手たちが、ひまわりという題名が付いた歌やこの花にちなむ詞があるメロディを歌っているのである。  

 各地に観光用のヒマワリ畑があるが、この夏はコロナ禍によって、開花したヒマワリを切ってしまうというニュースが相次いだ。それは虚しい風景といっていい。イタリア映画「ひまわり」(1970年公開)を覚えている人は多いだろう。第二次大戦中、ヒトラー・ドイツと同盟を結んでいたファッシスト・ムッソリーニ率いるイタリアはロシア東部戦線に陸軍を派遣した。映画はこの戦争に召集され、消息を絶った夫(マルチェロ・マストロヤンニ)とソフィア・ローレン演じる妻の愛と別離の悲しみを描いている。この映画で心に残るのは、どこまでも広がるヒマワリ畑(ウクライナの首都キエフから約500キロ離れたヘルソン州で撮影。ウクライナは1991年のソ連崩壊で独立している)の風景だ。  

 美術史家の宮下規久朗は「ソフィア・ローレンがロシアの広大な向日葵畑をさまよい歩くシーンが印象的であった。彼女は、夫がロシア女性と新たな家庭を築いているのを見て、失意のうちに帰ってゆく。ここでの向日葵も、行方不明の夫をかたくなに信じ続けた妻の姿を象徴しているのだ」(『モチーフで読み美術史』ちくま文庫)と書いている。私は毎年、夏になるとこの映画で見たヒマワリ畑とともに、映画のテーマ曲(ヘンリー・マンシーニ作曲)を思い浮かべる。戦争がもたらした別離の深い悲しみを訴えるメロディが胸に迫ってくるのだ。風に揺れるヒマワリ畑は、悲しみの底に沈んだソフィア・ローレン演じる女性の絶望を投影しているようにも見える。  

 冒頭に書いた通り、ゴッホは《ひまわり》の絵を好んで描いた。1888年2月、パリから南フランスのアルルに移り住んだゴッホは、この地方の太陽の輝きに感激し、旺盛な制作意欲をしめした。花瓶に挿したヒマワリの絵(7点)もここで描かれた。陽光輝くアルルはゴッホにとって理想郷でもあった。だが、共同生活を始めたゴーギャンとの破局から耳切り事件を起こし、精神の破綻へとつながる因縁の町でもあった。この絵は理想郷で生きる喜びを象徴する一方で、後の悲劇をも感じさせる深い意味を持っているのではないか。  私の妄想かもしれない。この夏、真っ直ぐ空に向かうヒマワリを見て、光と影を感じるのである。

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