小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1896 地図の旅、札幌へ そこはアカシアの季節

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 地図を見ながら想像の旅を続けている。山形を出発した旅は九州へと移り、さらに沖縄を経てヨーロッパまで行った。今回はヨーロッパから帰国し、北海道へと歩を進める。想像の旅だから、強行軍でも疲れることはない。札幌の知人のフェースブックを見ていたら、「アカシアの季節」という文字が飛び込んできた。そうか、あの白い花が札幌の街を包んでいるのかと想像した。新型コロナの感染者は東京と北海道で連日発生している。遠い空の下で、知人たちはどのような生活を送っているのだろう。  

 私はこれまでの人生で2回、合わせて3年半札幌で暮らしたことがある。地名を聞くと、ある程度はどのあたりかを想像することができる。「陽気で人なつっこく進歩的」が北海道人の気質だそうで、そうした人たちと知り合いになり、北海道は第二の故郷と自称している。人だけでなく、自然にも魅了された。アカシア(アカシヤとも表記)の花もその一つだった。  

 知人はフェースブックに「アカシアの季節」と題しこの花の2枚の写真とともに以下のような文を載せている。「一気にアカシアの花が咲いた。初夏の訪れ。風薫り、リラ冷えはもうない。何故か花房が小さい。かつては手に取ると肘にかかるほど豊かだったが、今、手のひらに載ってしまう。これも温暖化のせい?……の花が咲いてた「この道」、……の花の下で「赤いハンカチ」、……の雨に打たれて「アカシアの雨がやむ時」……記憶に刻まれた歌、歌……その季節に浸る」。詩的で素敵な文章だ。  

 私もアザミの花の写真を提供した『メロディに咲いた花たち』(三和書籍)という本にも当然、アカシアの花を歌った曲が載っている。四季折々の花の写真とともに、456の曲(童謡・唱歌・民謡・歌謡曲など)の歌詞、作詞者、作曲者、歌い手、発表年が出ており、頁をめくると、そのメロディが浮かんでくるのである。「夏・アカシア」編では知人が書いた3曲の歌詞と3枚の写真があり、このほかにアカシアを歌った主な歌として「恋の町札幌」(歌、石原裕次郎)、「acacia」(松任谷由美)、「アカシア」(レミオロメン)の3曲を紹介している。ちなみに「acacia」の歌詞にはアカシアという言葉はなく替わりに「銀の花」と歌われている。    

 この本には「単にアカシアといえば黄色い花」という短い解説も載っている。「わが国で歌に歌われているアカシアの多くは、マメ科の白いニセアカシア(針槐=はりえんじゅ)の花。本来のアカシアは、房アカシア、銀葉アカシア(別名ミモザでわが家の庭にもある)、丸葉アカシアなどの黄色い花を咲かせるネムノキ亜科の植物。年代的に先に輸入された針槐をアカシアと呼んでいたので、後から輸入されたアカシアと区別するため“ニセ”を付したもの」。

 清岡卓行芥川賞を受賞した『アカシヤの大連』の中で、ニセという冠を付けたことを批判している。「どこかの愚かな博物学者がつけた名前か知らないが、にせアカシヤから『にせ』という刻印を剥ぎとって、今まで町のひとびとが呼んできた通り、彼はそこで咲き乱れている懐かしくも美しい植物を、単にアカシヤと呼ぼうと思った」と。私も清岡説に賛成だ。  

 今、札幌の街は「あの悩ましく甘美な匂い、あの、純潔のうちに疼く欲望のような、あるいは逸楽のうちに回想される清らかな夢のような、どこかしら寂しげな匂いが、いっぱいに溢れたのであった」(同書)という匂いに包まれているのだろうか。  

 たそがれの歩をゆるめゆく花アカシヤ 伊藤敬子  

写真1、私の住む千葉はアジサイの季節です 2、既に咲き終わったアカシアの花  

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