小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1895 地図の旅海外へ 今年はベートーヴェン生誕250年

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 コロナ禍により世界各国で様々な分野の芸術活動が休止せざるを得ない状況に追い込まれた。クラシックの演奏会もキャンセルとなった。6月になった。経済活動の再開とともに3カ月ぶりにウィーン(オーストリア)でウィーンフィルによる公演が再開され、ダニエル・バレンボイムの指揮でベートーヴェン(1770~1827)の交響曲第5番「運命」とモーツァルト(1756~1791)のピアノ協奏曲27番が演奏されたというニュースを読んだ。ことしはベートーヴェンの生誕250年。コロナ禍という歴史的災厄の中で、音楽を取り戻したいという人々の願いは、クラシック界の双璧に届いているのかもしれない。  

 私の地図を見ながらの旅は沖縄からヨーロッパへと続き、ドイツやオーストリアなどの地名をたどっている。ベートーヴェンが生まれたのは神聖ローマ帝国ケルン大司教領(現在のドイツ)のボン(1949~1990まで西ドイツの首都)で、亡くなったのはウィーンだ。誕生した正確な日時は不明だが、1770年12月16日ではないかといわれている。当時この地方では誕生後、24時間以内にカトリックの洗礼を受けさせる習慣があり、ベートーヴェンはボンのレミギウス教会で17日に洗礼を受けたことから、前日の16日に生まれたのではないかと推定されている。  

 ベートーヴェンモーツァルトが生きた当時の日本は、江戸幕府による鎖国政策真っただ中にあり、老中田沼意次による賄賂政治や次の老中松平定信による寛政の改革伊能忠敬の日本地図作成、浮世絵の葛飾北斎の活躍などが歴史の教科書に載っている。この時代の日本の庶民は、はるか遠い空の下にクラッシックという音楽に親しむ世界があることを知るすべもなかった。  

 青土社が発行した「音楽の手帖」の「モーツァルト」(1979年6月発行)と「ベートーヴェン」(同1979年8月)の2冊がわが家の本棚にある。いずれも内外の著名人が2人について寄稿しているのだが、「ベートーヴェン」の本でSF作家であり、ショートショートで知られる星新一(1926~1997)が面白いことを書いている。中学生以来の音楽とのかかわりを記した星はベートーヴェン交響曲について短いながら的確に評している。「『田園』は明るくて楽しいし、『英雄』はいわずもがな『第7』には躍動美があり、『第8』は小品である点が面白い。いささか疲れさせられるが『第9』は名作である」  

 だが、この後で意外な告白をする。「しかし『運命』だけは全曲を通して聴いたことがないのである」というのだ。なぜだろう。星は続ける。「あの発端部分は知っているが、その先は知らないのである。友人が貸してやると言って断わった。あまりに有名過ぎることへの抵抗である。あまのじゃく的性格が、そのころからあったようである。今日にいたるまで、いまだに「『運命』を聴かないでいる。こんな人間は珍しいのではないだろうか」。星は、この本が出てから18年後に亡くなっている。その後『第5』を通して聴いたかどうかは分からない。  

 谷川俊太郎の「ベートーヴェン」を揶揄した詩も載っている。

 

 ちびだつた  金はなかつた  かつこわるかつた  つんぼになつた

 女性にふられた  かつこわるかつた  

 遺書を書いた  死ななかった  かつこわるかつた  

 さんざんだつた  ひどいもんだつた  

 なんともかつこわるい運命だつた  

 かつこよすぎるカラヤン  

(注・つんぼ=耳の不自由な人のことで、共同通信社発行の『記者ハンドブック』によると現代は差別語・不快用語)

 この詩は、伝えらえるベートーヴェンの実像を描いている。谷川はそのうえで名曲を残したベートーヴェンを敬愛しているという。ベートーヴェンの師だったハイドンは格好が悪い弟子に「蒙古大王」というあだ名を付けたそうだ。田舎者のことをからかった言葉で人種差別に当たり、現代のモンゴルの人々にとって不愉快なあだ名といえる。  

 指揮者のカラヤン (1908~1989)は、CDの写真を見ると確かに格好がいい。端正な顔に白髪……。指揮だけでなく、クラッシック界の帝王的言動がカラヤンを好き、嫌いにはっきり分けさせる所以だろうが、いずれにしろクラシックの普及に寄与したことは間違いない。フランスの文豪、ヴィクトル・ユーゴー(1802〜1885)もやはりベートーヴェンを称えている(注・ブログ作者)。時代を経てもベートーヴェンの偉大さは変わらない。  

 偉大なペラスギ族(ギリシア先住民族)、それはホメロス古代ギリシアの吟遊詩人)である。偉大なギリシア人、それはアイスキュロス(古代アテナイ三大悲劇詩人)である。偉大なヘブライ人(ユダヤ人、古代イスラエル人)はイザヤ(旧約聖書に出てくる預言者)、偉大なローマ人はユウェナリス古代ローマの風刺詩人、弁護士)、偉大なイタリア人はダンテ(「新曲」を書いたフィレンツェ出身の詩人、文学者)、偉大なイギリス人はシェイクスピア、偉大なドイツ人、それはベートーヴェンである。                        (松本耿夫訳)  

 山田洋次監督の映画「男はつらいよ」シリーズ41作目に、ウィーン編があった。マドンナは竹下景子で、寅さん(渥美清)は、線路で自殺を図ろうとする会社員を助け、柄本明が演じる会社員の、本場で芸術に親しみたいという希望で一緒にウィーンへの旅に出る。そこで現地ガイドをしている訳ありの女性(竹下)と出会う。この映画で描かれたウィーンの初夏は美しい。私が訪れた3月は、まだモノクロの世界だった。クラッシック界の双璧、モーツアルトベートーヴェンはこの街の墓(共同墓地と中央墓地)に眠っている。ウィーンは昔も今も音楽の街なのだ。14世紀から16世紀まで続いたルネサンスは、日本では文芸復興と訳される。コロナ禍からの世界、日本の芸術・文化の復興はいつの日になるのだろう。現代の災厄からの復興について、後世名前が付くのだろうか。  

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 写真 1、3散歩コースの公園にて。2,4,5はとベートーヴェンの写真とスケッチから(いずれも「音楽の手帖」より)