小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1899 あの閃光が忘れえようか  広島を覆う暗雲

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  あの閃光が忘れえようか

  瞬時に街頭の三万は消え

  圧しつぶされた暗闇の底で

  五万の悲鳴は絶え

 峠三吉の「八月六日」という詩は、こんな書き出しで、以下原爆投下後の広島の惨状を綴っています。あと1カ月余で、広島に原爆が投下されて75年になります。その広島は今、原爆とは異なる黒い雲に覆われているのです。前法務大臣河井克行、案里夫妻による公選法違反(買収)容疑事件であることは言うまでもありません。

  案里氏が昨年夏(7月21日投開票)の参院選に立候補した際、広島県内の首長や議員ら94人に2570万円をばらまいた疑いが濃厚になっているのです。渡した疑いが持たれる夫妻は東京地検特捜部に逮捕され、もらった方も次々にその事実を認め、市長をやめるという人や、頭を丸刈りにして市長続投を主張する人など、さまざまな関連ニュースが続いています。「金権選挙」という言葉を思い出しました。

  試みに「故事ことわざ辞典」(東京堂出版)で「金」にまつわる故事を引いてみました。たくさんあります。このうち、負の側面が強いと思われることわざを記してみましょう。

  金があれば馬鹿も旦那 金があるおかげで、ばかがだんなといわれて世間をとおること

 金が敵 金銭がわざわいのもと。金銭のために身を滅ぼす。金銭のために不和や反目を生じやすい

 金が物言う 金銭の力で世間のことは解決できるのをいう

 金で面(つら)を張る 金銭の力でむりやりに反対者をおさえつけること

 金の切れ目が縁の切れ目 金銭のなくなった時が関係の切れる時であるとの意

 金の光は阿弥陀ほど 金銭の威力が絶大であることのたとえ

 金の世の中 金銭しだいでどうにでもなる世の中

 金はあぶない所にある 金もうけには危険が伴う

 金は芸減らし 金に心がひかれると芸がおとっていくこと

  

 これを見て、どう思いますか。前法務大臣夫妻にとって自民党からもらった1億5000万円という巨額の選挙資金(安倍晋三首相に批判的だったもう1人の自民党のベテラン溝手顕正氏は10分の1の1500万円で落選)を使うことによって「金が物言う」「金で面を張る」から「金の光は阿弥陀ほど」「金の世の中」はずでしたのに、「金は敵」になってしまったというのが実情のようです。

  配られた金は、自民党本部から夫妻が支部長を務めた2つの自民党支部に提供されたもので1億5千万円のうち1億2千万円は税金を原資とする政党交付金だったと、地元の中国新聞が報道しています。自民党二階俊博幹事長は、党勢拡大のための広報誌を複数回、全県に配布した費用に充てられ、公認会計士支部の支出を確認しており買収資金に使えないのは当然――と語ったとも報じられています。政党交付金は国民の税金から議員の数に応じて各党に配分される(共産党は申請せず)ものですが、2019年は317億円で、うち自民党が179億円とトップを占めています。この金が買収資金に使われたとなれば、「国民の汗と涙の結晶」といわれる税金が汚い金に使われたことになります。東京地検の立証が待たれるところです。

 「続故事ことわざ辞典』(同)にも金に関することわざが収録されていますが、「金さえあれば飛ぶ鳥も落ちる」(この世の中のことは、すべて金で解決するということ)という言葉に注目しました。かつて「金権選挙」と呼ばれた選挙がありました。1974(昭和49)年7月の参院選田中角栄率いる自民党が多額の金銭を投入したとされ、「5当4落」(全国区では5億円を使えば当選し、4億円では落選するといううわさ)という言葉もささやかれ、歴史に汚点を残しました。その選挙はこのことわざを地で行くものだったそうです。

  今回の選挙違反事件も、この時代を彷彿させるもので、歴史に残ることは間違いないでしょう。選挙の際の投票率や選挙違反は民度を示す尺度といっていいでしょう。この事件によって「広島の民度は低い」(私は千葉在住ですが、タレント出身の森田健作知事が誕生した当時や同知事が大きな台風が通過した時、別宅を見に帰ったという行動によって友人、知人から千葉は民度が低いと揶揄されました)「金まみれの広島」などというイメージが広がる恐れもあります。実はそれだけではありません。河井氏を法務大臣に任命した首相は記者会見で「任命責任を感じている。国民に深くお詫びする」と語りましたが、いつものように責任を取る気配がありませんし、東京のコロナ感染者が依然減ることはない中、大好きな高級飲食店での会合を再開しました。日本の民度が高いと思っている政治家もおりますが、このような日本の政治の実態に世界の人々から苦笑いが起きることでしょう。

  峠三吉の詩を読みながら、原爆の惨禍を体験した人々及びその家族だけでなく、広島県民の嘆きの声が聞こえてくるように感じました。その詩は、最後に以下のように結んでいるのです。

   三十万の全市をしめた

  あの静寂が忘れえようか

  そのしずけさの中で

  帰らなかった妻や子のしろい眼窩が

  俺たちの心魂をたち割って

  込めたねがいを

  忘れえようか!

  河井夫妻から金をもらったという首長や議員らの市、町を地図で見ました。地図を見ながらの想像の旅は楽しいはずでしたが、このような恥ずべき事件の関連で地図を見るのはつらいものです。私の想像の旅はここまでにしようと思います。山形を起点とした旅は、九州、沖縄を経てヨーロッパへと飛び、さらに北海道、アフリカ・エチオピアをまわりました。そして再度の沖縄から広島へと駆け足の旅もこれでおしまいです。

 写真は、雨の中で白く輝くくちなしの花

 

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