小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

478 政争の果てに ようやく選挙か

  いつ選挙があるかどうかでこの1年近く、日本の政治は安定しなかった。というより、安倍、福田、麻生とこの3年間、政権は揺れ続けた。

  交代政党と思われた民主党は、小沢代表の政治資金問題で一歩立ち止まり、代表を鳩山氏に替えて再び攻勢に出た。その結果、自民党東京都議選の惨敗という結果に現れ、麻生首相はようやく解散を決断した。

  日本の政治の混迷は、日本の将来への不安を増幅させていることに政治家は気づいているのだろうか。

  よくいわれるのは「日本は優秀な官僚機構があるので、政治が不安でも大丈夫だ」ということだ。だが、そうではない。官僚機構は国民に奉仕するのではなく、自分たちのために仕事をしているとしか思えない。

  その典型が政治家からの要求に応じて、大判振る舞いを続けた結果、国家財政に800兆以上の借金をつくってしまった。

  それに対して、政治家も官僚もだれも責任を持たず、麻生政権はさらに選挙対策としか思えない(景気浮揚策といっているが)国家財政の今後を考えない支出をし続けている。そのツケは次の世代に確実に回ってくる。

  政治は権力闘争である。それは全世界共通だ。「国民を幸せにする」という大義名分がある。しかし、実は国民のためではなく、自分たちの野望のための動くのが多くの政治家だ。「そうではない」と反論があるかもしれない。では、反論をする政治家はどのような未来像を描くことができるのだろう。

  最近の麻生首相の表情は痛々しい。自民党は貧すれば鈍すということわざのような動きを続けている。人気取り策として党内で勢力が弱い麻生さんをあえて総裁・首相に選んだ自民党は、いま断末魔の時間を送っている。

  政治状況はいま転換のときだ。だが政治への不信は、次の選挙で払拭されるのだろうか。政界再編とやらで、再び政治家たちが右往左往する姿を想像すると、そう甘くはないと思う。