小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1886 8月9日を忘れた政府関係者 『長崎の鐘』に寄せて

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 2021年8月9日を東京五輪閉会翌日として「祝日」にする法案を政府が考えたそうだ。この日は長崎に原爆が投下された日である。祝日にするのはそぐわないのは自明の理ではないか。さすがに自民党議員からも「ありえない」という異論が出て、閉会式の日の8日日曜日を祝日として、9日を振替休日にすることで調整を進めている――という記事を読んだ。この日の重要さを忘れてしまったか、あるいはそこまで考えが及ばなかったのだろうかと、薄ら寒さを覚えてしまった。このニュースは、国民の思いとかけ離れた官僚と政府の姿をくっきりと映し出している。  

 1945(昭和20)年8月9日午前11時2分、3日前の広島に続き、原爆(ファットマン)が米軍のB29(ボックスカー)によって長崎市に投下され、市民24万人のうち、7万3884人が死亡、7万4909人が重軽傷を負った。原爆症による死者は後を絶たず、多くの市民を今も苦しめている。第1の投下目標は福岡県小倉市だったが、天候不良のため予備目標だった視界良好の長崎市に変更されたのだ。  

 福島出身の作曲家、古関裕而の代表作として長崎原爆を歌った『長崎の鐘』(1949年4月発売)が挙げられる。爆心地から500メートル離れた浦上天主堂も一瞬に倒壊したが、2つあった大聖堂のアンジェラスの鐘の1つは、後に30メートル離れた瓦礫の中から無傷で発見された。この歌は原爆によって妻を失い、自らも被ばくした長崎医科大学の医師、永井隆博士が書いた「長崎の鐘」や「この子を残して」などの随筆を読んだサトウハチローが作詞し、これに古関が曲をつけ、藤山一郎の格調高い歌で戦後を代表する歌になった。昭和世代なら「こよなく晴れた 青空を悲しと思う せつなさよ(中略)なぐさめ はげまし 長崎のああ 長崎の鐘が鳴る」という哀調ある歌を知っている人は少なくないだろう。

  いま私は『戦争と文学』・集英社文庫)という、広島・長崎の原爆をテーマにした作品を集めた本を読んでいる。著名作家による作品は、原爆の被害の実情をこれでもか、これでもかと、描き出している。長崎の原爆体験を描いた林京子の『祭りの場』の最後は以下のように書かれている。「アメリカ側が取材編集した原爆記録映画のしめくくりに、美事なセリフがある。――かくて破壊は終りました」。広島、長崎への原爆投下を指示したトルーマン米大統領は、「我々は歴史始まって以来の、2発の爆弾によって平和を創り出した」という声明を出したが、原爆投下は破壊行為そのものであり、犠牲になった無辜の人たちを思いやる気持ちは、声明から感じることはできない。  

 8月9日を祝日(「山の日」)にする法案に、長崎出身の自民党議員から反対の声があがり、振替休日にする方向で調整しているというニュースは紙面に小さな扱いで掲載された。黙殺した新聞もある。原爆投下から75年になる。いやまだ75年しか経ていないのだ。にもかかわらず、政治家や官僚は原爆の深刻さを忘れてしまったのだろう。日本政府が今も核兵器禁止条約に批准をしていないことを見ても、8月9日が何の日かを忘れた健忘症の人たちがこの政権を担っているに違いない。改めて書く。8月9日は祝うべき日ではない。犠牲になった人たちを鎮魂し、平和を誓う祈りの日なのである。祝日にするなど思いもよらないことだし、振替休日にすることもそぐわない。  

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