小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1863 チャイコフスキーの魂の叫び 感染症と闘う時代に

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 日本は光の春なのですが、世界は不穏な時を迎えています。皆さんはどんな日々を送っているでしょうか。新型コロナウイルス感染症の世界的流行によって、多くの人たちは圧倒的に「不安」を抱いているといっていいかもしれません。私はチャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」を聴きながらこのブログを書いています。チャイコフスキーは、この曲で不条理な人生を精一杯闘い抜いた悲愴感を描こうとしたのでしょうか。この曲を聴き終えると、私はなぜか力が湧いてくるのです。  

 不条理という言葉は人生に望みがないこと、絶望的状況を言うと辞書にはありますが、このところ新聞にも取り上げられているカミュの小説『ペスト』は、ネズミが媒体になった感染症によって孤立した町を舞台に、不条理の世界を生き抜く人々の姿が克明に描かれています。チャイコフスキーのこの曲も、不条理な人生を生き抜いた作曲家の魂の叫びのように私は感じるのです。『鉄腕アトム』の作者、手塚治虫がこの曲を好んだことはよく知られています。科学の進歩を信じてアトムを書き続けた手塚は、21世紀の東日本大震災新型コロナウイルスの世界的流行を体験したら、どんな作品を書くのだろうと想像します。  

 チャイコフスキーの死因については自殺説もありますが、コレラという感染症で亡くなったというのが定説のようです。コレラは、1817年から第1次世界的流行以来、7次にわたる大流行を起こし、年間300万~500万人が感染し、3万~13万人が亡くなったそうです。現在でも年間20万~30万人が罹患しているのです。  

 このように、人類の歴史は「ウイルスとの闘い」といっていいでしょう。枚挙にいとまがないほど、ウイルスによる感染症が出現しています。最近でもエボラ出血熱やSARS、MERS、新型インフルエンザが流行したばかりです。アメリカでは2019~2020年にかけてインフルエンザが猛威を振るい、米疾病対策センターCDC)は2月段階で、「患者数2600万人以上、入院約25万人、死者約1万4000人」という推定値を発表しています。これに新型コロナウイルスが追い討ちをかけているのです。  

 これまで人類は多くの犠牲を経てワクチンの開発などによってウイルスを封じ込めてきたのですが、その感染症との闘いが一段落すると新たなウイルスが現れ、次第に牙をむき始めるのです。新型コロナの猛威は、そのことを再確認させてくれました。世界は今「パニック」という言葉を使わざるを得ない状況にあります。一口で言えば「恐慌」です。群集心理が働き、市民、国民全体への混乱へと発展してしまうのです。それを抑えるのは政府の役割なのですが、世界の指導者は突然降ってわいた新型コロナウイルスの世界的流行に恐れおののき、冷静さを失ってしまった感があります。その典型がアメリカのトランプ大統領であり、安倍首相率いる日本政府の動きも心もとないと言わざるを得ません。  

 チャイコフスキーの死後、1週間して『悲愴』が再演されました。「終楽章の最後の和音が消えゆくと、満員の聴衆は拍手も忘れて深い沈黙に沈み、やがてそこかしこからすすり泣く声がきこえてきたと伝えられている」(CBS/SONY版CD/坂清也氏の解説)そうです。127年前に亡くなったチャイコフスキーの「悲愴」は、新たなウイルスと闘う後世の人々に、絶望的状況にあっても生き抜いてほしいというメッセージを残したように私は聴こえるのです  

 山形出身の作家、飯島和一の作品に『出星前夜』(小学館)という長編があります。江戸時代の寛永14年(1637)、長崎・島原の子どもたちは未知の傷寒禍(伝染病=感染症のこと)に襲われ、次々に幼い生命が奪われていきます。長崎の医師、外崎恵舟は有家村の庄屋・鬼塚甚右衛門の懇願で村に入り、子どもたちの診療をするのですが、理不尽にも代官所によって追放されてしまいます。これに抗議した数十人の少年らが村外れにある教会堂跡に立てこもります。過酷な年貢や農民酷使、キリシタンへの弾圧に天草・島原のキリシタン農民が中心になって起こした「島原の乱」の始まりでした。「天草四郎」に率いられた歴史に残る島原の民衆による反乱は、感染症がきっかけで発生したという設定です。

 三木卓の『震える舌』も、破傷風に侵された幼い娘と両親の闘いを描いた作品ですね。このように、文学作品にも感染症が取り上げられることが珍しくありません。絶望的状況に置かれた人間の様々な生き方をこれらの作品は教えてくれるのです。  

 今、世界では私たちがこれまで見たことがないような互いの国の行き来を制限する「鎖国政策」がとられ始めました。それがこのウイルスの封じ込めに威力を発揮するかどうかわかりません。新型コロナウイルス感染症の流行による人的、経済的な損失は図り知れませんが、自国第一主義を捨て、いまこそ国際協力を優先してこの災厄との闘いに打ち克つことを願うばかりです。

 朝日新聞の19日夕刊一面に、コロナウイルスによって町全体が封鎖された中国武漢在住の作家、方方さん(64)のブログで公開している日記が紹介されていました。その最後に、中国という国の在り方について記した2月24日の日記が掲載されていました。それは中国だけでなく世界各国に共通する考え方といっていいでしょう。「一つの国が文明国家であるかどうかの尺度は、高層ビルや車の多さや、強大な武器や軍隊や、科学技術の発達や卓越した芸術や、派手な会議や絢爛な花火や、世界各地で豪遊する旅行客の数ではない。唯一の尺度は、弱者にどう接するか、その態度だ」  

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