小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1868 コロッセウムは何を語るのか 人影なき世界遺産

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 新型コロナウイルスによって、観光立国イタリアは大きな打撃を受けている。著名観光地は軒並み閉鎖され、年間400万人が訪れるといわれるローマのコロッセウム(ラテン語、コロセウムとも。イタリア語ではコロッセオ)も例外ではない。古代遺跡の閉鎖を説明する掲示板の写真をニュースで見たのは1カ月前のことだった。体操仲間が描いた水彩画を見せてもらいながら、人影がなく閑古鳥が鳴く遺跡のわびしい風景を想像した。  

 この水彩画は写真の通りコロッセウムの外観を描いたもので、青空のもと、静かな佇まいの茶色の遺跡が美しい。これまでこのブログには2回この知人の絵を紹介しており、今回で3枚目になる。コロッセウムの絵が完成したのはことし1月20日のことで、この後新型コロナウイルスがイタリアで猛威を振るうとは、作者も想像しなかったに違いない。  

 コロッセウムは古代ローマ時代の西暦70~72年、ウェスパシアヌス帝の命令で建築が始まり、その子どものティトウス帝時代の80年に完成したとされる円形闘技場(長径188メートル、短径156メートル、周囲527メートルの楕円形)で、収容人数は5万人前後。剣闘士の闘技、人間とライオンなど猛獣との闘いというゲームの観戦を目的とした残酷な施設である。その廃墟が世界遺産となり、観光名所になったのだ。アカデミー作品賞と主役のラッセル・クロウが主演男優賞を受賞した2000年のアメリカ映画「グラディエーター」は、主な舞台がコロッセウムだが、映画では実物より小さいセットを使ったそうだ。  

 本田昌昭・大阪工業大学教授(建築学)の「皇帝権力の記念碑」(西田雅嗣編『建築史 西洋の建築』京都造形芸術大学)によると、コロッセウムは古代ローマ帝国と皇帝の権力の象徴としての記念碑性を持っており、遥か後の中世の大聖堂が幾世紀にもわたって工事が継続され、あるいは未完成に終わっているのと比べ、完成までにわずか10年の工期しか要しなかったことは驚嘆に値するという。帝国の強大な財政力が寄与しただけでなく、組織化された技術と集約的な労働の統制が工期の短縮と堅固な構築物の実現を可能にしたという背景がある。古典古代の復興を目指した中世のルネサンス時代の建築家にとって、コロッセウムはローマ建築的偉業の頂点の一つであり、古典建築の生きた教科書だった、とも本田さんは書いている。  

 そして現代――。イタリアで新型コロナウイルスが爆発的に流行し、死者が相次いだ背景には様々な要因があるようだ。人口の3割近くが高齢者という高齢化社会であること、この感染症が初めて明らかになった武漢がある中国との経済的つながりが強く人的交流も盛んなこと、家族との触れ合いを大事にし、おしゃべり好きでハグするのが当たり前の国民性であることなどに加え、国家としての財政悪化のため、病院の縮小による病床数の減少が指摘されている。後世、イタリア史の中で今回の感染症はどのように記されるのだろう。  

 イタリアでは、新型コロナウイルスの感染者数について、国の研究機関が3月末でピークに達したと発表したため、一部の地域では外出禁止令を守らず、買い物に出かける市民が続出。こうした気の緩みに対し、政府が感染再拡大の恐れがあると警戒を呼び掛けている――という報道もあった。確かに、この感染症との闘いはそう簡単ではないだろう。まさに「ローマは一日にして成らず」(何事も多大の努力をしなければ成し遂げられない=広辞苑)である。この災厄が世界から一日も早く去ることを願わずにはいられない。

(4日現在、イタリアの新型コロナウイルス感染による死者は1万5362人で世界最多を更新。感染者は12万4632人=ローマ共同)  

写真 知人の水彩画  

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