小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1864 桜の季節に届いた手紙「心は自由」「若者へ伝えること」

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 春立つや子規より手紙漱石へ  榎本好宏  

 俳人正岡子規と文豪、夏目漱石は頻繁に手紙を交わしたそうです。この句は立春の日、子規から漱石に手紙が届いた情景を描いています。立春から春の彼岸が過ぎ、新型コロナウイルスによる感染症が世界で爆発的に流行している中、私は最近、2通の手紙を受け取りました。ワクチンのない新しいウイルス感染症によって人類は不安な時代を迎えていますが、2通の手紙はこうした現状に立ち向かう勇気を与えてくれるものでした。  

 受け取った手紙の1通は、目の病気のため視力が衰えた知人からでした。その手紙には愛する人が10年の闘病の末に亡くなった経過が書かれ、最後には「目は不自由になりましたが、心は自由に、大切なものを見失わないで生きたいと思っております」と、記されていました。  

 人生には様々な別れがあります。知人の愛する人との別れの風景を思う時、切なさが込み上げてくるのです。そして、視力が衰えた現実を直視した上で到達した「心は自由に、大切なものを見失わない」という精神は、窮屈になりつつある現代の世相に警鐘を鳴らしているように思えてならないのです。  

 梨木香歩の『僕は、そして僕たちはどう生きるか』(岩波現代文庫)という本の最後に、以下のような言葉があります。 「そう、人が生きるために、群れは必要だ。強制や糾弾のない、許し合える、ゆるやかで温かい絆の群れが。人が一人になることも了解してくれる、離れていくことも認めてくれる、けど、いつでも迎えてくれる、そんな『いい加減』の群れ」  

 これは、自由の本質を語った言葉ではないでしょうか。知人の手紙を見て、梨木の本を読み返しました。  

 もう1通は、30年間の記者生活に別れを告げ、学問の世界に転身する年下の友人から届いたものです。その手紙には「新たな職場で若者とジャーナリズムが社会と民主主義に果たす大切な役割について議論し、願わくば良い人材をマスコミ界に送りたいと考えています」と、教師としての目標が書かれていました。この友人の姿を見ていて、論語の「子曰く 君子 重からざれば、則ち威あらず」という一節(学而 第一 8)を思い浮かべるのです。  

 現代訳では「先生は教養人とはこうだと言う。重厚さ、すなわち中身の充実(誠実さ)がなければ、人間としての威厳はない。学問をしても堅固ではない。このように質の充実つまりはまごころを核とすることだ。[そういう生き方をする]自分とは異なり、まごころの足りない者を友人とするな。もし自分に過失があれば、まごころに従ってすぐにも改めることだ」(加地伸行論語』(講談社学術文庫)となります。ひたむきに仕事に取り組んだ友人は、必ず若者たち(大学生)に信頼される研究者になると信じるのです。  

 ところで、若くして病魔に侵された子規から英国へ留学中の漱石に届いた最後の手紙(明治34=1901=年11月6日)はよく知られています。その冒頭には「僕ハモーダメニナツテシマツタ、毎日譯モナク號泣シテ居ルヤウナ次第ダ、ソレダカラ新聞雜誌ヘモ少シモ書カヌ。手紙ハ一切廢止。ソレダカラ御無沙汰シテスマヌ。今夜ハフト思ヒツイテ特別ニ手帋ヲカク」とありました。親友にあて子規が死に対する恐れを隠さずに吐露したといえるもので、歴史に残る手紙なのです。  

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