小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1861 自家撞着の政治家 知識を身につけていても

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 人間は生きよと銀河流れをり 新感覚派俳人といわれた上野泰(1918~1973)の句である。「スケールの大きな世界。すでにほろんだ星も含む銀河が『人間は生きよ』と語りかけながら流れていきます。心に何か悩みや屈託があったとしても、この涼やかな銀河の流れが浄化してくれそうです」(倉阪鬼一郎『元気が出る俳句』幻冬舎新書)という解釈を読むまでもなく、コロナウイルスと闘う地球への応援句だと受け止めたい。まさに元気の出る一句といえる。  

 17という短い文字で四季折々の森羅万象を表現する俳句は奥深い。俳句に取り組む人たちは、それほどに言葉を大事にしているのだ。一方で、言論の府といわれる国会で、自身の言葉を取り消す大臣が相次いでいる。

 福島選出の参院議員である森雅子法相は9日の参院予算委員会で、東京高検の黒川検事長の定年延長に絡み、検察官の勤務延長の解釈変更の理由(社会情勢の変化)を問われると「東日本大震災の時に検察官は、福島県いわき市から国民が、市民が、避難していないなかで最初に逃げた。そのときに身柄拘束している10数人を理由なく釈放して逃げた」と答弁した。その後、11日に開かれた衆院法務委員会でこの答弁を「この答弁をしたのは事実。個人的見解だった」と言い訳して撤回、委員会の審議が止まってしまった。  

 たまたま参院予算委の国会中継のテレビを見ていたが、この人は何を言っているのだろうかと思った。検事長の定年延長とは何の脈絡がない上、自身が検察官の属する法務省のトップなのに、このような感情的発言をした。正直驚いた。

 ドイツの哲学者、ショーペンハウエルショーペンハウアー。1788~1860)は『知性について-他四篇』( 細谷貞雄訳、岩波文庫)の中で「『知は力なり』。とんでもない。きわめて多くの知識を身につけていても、少しも力をもっていない人もあるし、逆に、なけなしの知識しかなくても、最高の威力を揮(ふる)う人もある」と、述べている。森法相の経歴を見ると、多くの知識を身につけているようだ。だが、国会答弁をはじめとする言動を見ていると、少しも力をもっていないとしか言いようがない。  

 上(首相)から無理難題(検事長の定年延長)を押し付けられ、小学生でもおかしいと分かるような答弁を繰り返している。さらに、新型コロナウイルス感染対策本部会合を欠席して選挙区の会合に出たことや、国会の委員会で野党議員の質問中に席を立ちメディアの質問に応じていたことも発覚してしまった。やることなすことが支離滅裂に思えてならない。  

 カミュの小説『ペスト』の中で、主人公の医師リウーが新聞記者に対し、「ペストと戦う唯一の方法は、誠実さということです」「僕の場合には、つまり自分の職務を果たすことだと心得ています」と語る場面がある。今、世界中で多くの人たちが新型コロナウイルスに立ち向かって職務を懸命に果たしている。その根底にあるのは、リウーの言う通り「誠実さ」ではないか。それを失った政治家(政治屋か)が多すぎる。自家撞着に陥った法相はやめた方がいい。