小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1885 新聞離れ助長が心配 検事長と新聞記者の麻雀

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 新聞はかつて第4の権力といわれるほど影響力が大きかった。現在でも以前ほどではないが、新聞の力は侮れない。だが、インターネットの普及もあって若い世代の新聞離れが顕著であり、新聞業界が斜陽産業の道を歩んでいることは、誰しもが認めることだろう。それに追い打ちをかけるような事態が起きた。東京高検の黒川弘務検事長がコロナ禍によって外出自粛が求められている最中に、産経新聞記者の自宅で他の産経社会部記者、朝日新聞の社員(元社会部記者)と賭けマージャンをしていたことを週刊文春が報じ、黒川検事長は22日付で辞任したニュースである。黒川氏と麻雀に興じていた新聞記者の行為は、新聞の信用を失墜させ、ますます新聞離れに拍車をかけることになるかもしれないと、心配する。  

 新聞記者は取材対象に食い込まなければ、いいネタはとれないという。しかし、それが行き過ぎ取材相手と癒着、取り込まれてしまう記者もいる。担当する派閥の政治家と一体となるような言動をする政治部記者もいると聞く。社会部記者は権力と一線を画し、常に批判精神を忘れないが取材活動の基本であるはずだが、黒川事件の新聞記事を読んで、社会部記者も堕落したと思った。首相をも逮捕する権力を持つ高検の検事長が違法ともいえる法律の解釈変更によって定年が延長され、それを追認するような検察庁法の改定(改正ではない)が国会に提案され、しかも世はコロナ禍によって外出制限・三密を避けてほしいと政府が要請している時期に、この為体(ていたらく=みっともない有様)である。週刊文春によると、今回の問題は産経関係者から情報提供があったという。それが正しいとしたら、同じ社内で足の引っ張り合いをしていることになる。新聞社もここまで堕ちてしまったのだろうか。  

 2017年12月に亡くなった原寿雄さんの『新聞記者』(東洋経済新報社、1979年刊)という本を読み直した。原さんは元共同通信記者で、社会部デスク時代に小和田次郎のペンネームで書いた『デスク日記』という本は、かつて新聞記者を目指す若者たちのバイブル的存在といわれた。『新聞記者』の本には、冒頭の「求められる現代新聞記者像」に続いて、「現代をとらえる視点――私の11のモットー」という、原さんが考える新聞記者がなすべき重要なテーマが列記されている。40年以上前の本なのだが、11のモットーは現代にも通用するのは言うまでもない。それは、見出しだけ書くと次のようになる。  

 1、 未来社会への芽をとらえるために――歴史意識   

 2、 ナショナリズムを超えるために――人類意識  

 3、 記者のヒューマニズムとは何なのか――人権意識  

 4、 なぜいまローカルリズムなのか――地域意識  

 5、 第4の権力者にならぬためには――庶民意識  

 6、 ドロ沼に咲く花のように――倫理意識  

 7、 その気になれば政府も倒せる新聞だから――責任意識  

 8、 複眼で、すべてをプロセスとしてとらえる――相対意識  

 9、 記者と学者はどう違うのか――現場意識  

 10、いわゆるサラリーマン記者にならぬために――プロ意識  

 11、歴史の現場に立ち会うために――冒険意識  

 6について少しだけ触れてみたい。新聞記者は誘惑が多い職業だ。相手の懐に飛び込まなければ、真相に迫る記事は書けない。それは癒着ともいえるもので、取材対象と物的(経済的)にも精神的にも深い関係を持つことつながる。今回の黒川氏と新聞記者の麻雀癒着について、原さんの言葉を借りるなら「ドロ沼のようなこの現実の中で、清潔なモラルを貫きながら、精神的癒着と無縁で取材活動をするためには、相当の決意と努力を必要としよう。ドロ沼に身をつけながら取材しなければならず、しかも、身に一片のドロもつけずに真実のニュースの花を咲かせるのは、並大抵ではない」ということになる。  

 産経記者や朝日社員は、こうした新聞記者としての常識を忘れてしまったのだろう。元共同通信社会部記者でジャーナリストの魚住昭は『特捜検察』(岩波新書)の中で東京地検特捜部の検事たちについて触れている。「文中に登場する特捜検事たちの身の上にもその後、さまざまなことが起きた。亡くなった人、辞めて弁護士に転身した人、事件の処理をめぐって厳しい批判を受けた人……。だが、どんな場合でも彼らが誇っていいことが一つだけある。それは彼らが金銭や酒色とは無縁でありつづけてきたことだ。戦後の高度経済成長下で肥大化し、腐敗してきた日本の官僚機構の中で、特捜部は利権の手垢にまみれなかった稀有な組織だと思う」(注・この本は1997年の発行である。現在の特捜検察がこの通りかといえば、疑問符が付くのだが……) 。  

 検事としての経歴もあるとはいえ、法務省の赤レンガ組としての道を歩んだ黒川氏には、当然ながらこの記述は当てはまらない。それにしても、この不祥事に対する法務省の調査はおざなりで、とても法律の専門家集団のものとは思えない。記者への聞き取りもしていないし、元上司への忖度ありありの調査と言えるもので、多くの国民は納得しないだろう。訓告という処分も形式に過ぎない代物だ。官僚の狡さ、感度の鈍さ極まれりという思いがする。こんな国にした安倍内閣の責任は大である。毎日新聞が23日実施した世論調査によると、安倍内閣の支持率は27%で前回(今月6日)の調査の40%から急落し、不支持率は64%(前回45%)に跳ね上がった。辞職した黒川氏については「懲戒免職にすべきだ」が52%と半数を超え、国民の怒りが反映した結果といえる。  

 一国民の九割強は一生良心を持たぬものである。芥川龍之介侏儒の言葉』「修身」より   

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