小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1857 不条理の春がきた コロナウイルス蔓延の時代に

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 ドイツの文豪、ゲーテ(1749~1832)は、人が年をとることについて様々な言葉を残している。最近のコロナウイルス問題に関して、高齢者による無分別な行動のニュースを見たり読んだりしていると、自戒を込めてゲーテの言葉の意味を考えてしまう。以下はゲーテの年老いることを含んだ言葉である。

  年をとることにも一つの取り柄はあるはずです。

 それは、年をとってもあやまちは避けられないとしても、

 すぐ落ち着きを取り戻すことができるということです。

               (「タッソー」より)

 

 寛大になるには、年をとりさえすればよい。どんなあやまちを見ても、自分の犯しかねなかったものばかりだ。  (「格言と反省」より)

 

 老人は人間の最大の人権の一つを失う。老人は対等なものからもはや批判されない。

               (同上)

 

 年をとることは、何の秘術でもない。

 老年に堪えることは、秘術である。

                 (「温順なクセーニエン」より)

 

 若者は条理にそむくと、

 そのために長い苦痛に陥る。

 老人は条理にそむいてはならない。

 命が短いのだから。

                 (同上)

 

 最後の言葉に出てくる「条理」は、物事の道理、すじみち(広辞苑)のことである。「常識」と言い換えてもいいかもしれない。ゲーテは「老人は条理にそむいてはならない」と警告する。しかし、コロナウイルスの問題では70歳を過ぎた男女の非常識な行動が目に余る。

 テレビや新聞、インターネットでこの問題は連日トップニュースになっているから、このウイルスの危険性を認識しているはずだ。だが、高熱にかかわらず、マスクなしに電車と飛行機に乗り、さらに観光バスに乗った女性、大量の感染者を出したクルーズ船から降りた当日にスポーツクラブの風呂を利用した男性、風邪の発症後、5日間ジムに通った男性等々、枚挙にいとまがない。

 高齢者の部類には属しない50代の男性は、自身が感染しながら「コロナをばらまく」と言って飲食店2店に行ったこともニュースになっていた。まさに「条理」とかけ離れた常軌を逸した行動といっていい。世の中の高齢者及びその予備軍の人たちに、どうか「落ち着き」を取り戻してほしいと願わざるを得ない昨今だ。

  今、私の周囲でもコロナの影響は少なくない。美術館、図書館は休館になり、スポーツジムも臨時休業。予定していた講演会も中止になった一方で、散歩コースの遊歩道は平日にもかかわらず、休校の子どもたちだけでなく、散歩やジョギングをする大人も目に付く。テレワークの人たちなのだろうか。世界の人々の命と健康を守るために存在するWHO(世界保健機構)の活動も、このウイルス対応に関しては大国になった中国に遠慮しているのか及び腰に見える。

 あと数日で3・11東日本大震災から9年になる。原発事故の福島の復興の見通しはつかない。こんな中で東京五輪は開催できるのだろうか。開催か中止か、あるいは延期か。いずれにしろ、歴史的な大会になるだろう。

  街路樹のモクレンが例年よりかなり早く開花した。そして、この2020年は不条理の春を迎えているといっていい。

 

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