小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1858 何も悪いことをしていないのに……上野敏彦著『福島で酒をつくりたい』を読む

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 9年前の東日本大震災は多くの人々に大きな影響を与えた。特に原発事故の福島では、今なお避難先から住み慣れた故郷に戻ることができない人々が数多く存在する。山形県長井市で「磐城壽」という日本酒づくりに取り組む鈴木酒造店も原発事故によって福島を追われた蔵の一つである。上野敏彦著『福島で酒をつくりたい「磐城壽」復活の軌跡』(平凡社新書)を読んだ。

インパクトの強さが前面に出た港の男酒だったが、長井で造り続けるうち酒質にクリア感が生じてきて、飲みごたえと酒に清らかな美しさを感じるようになった」(同書より=酒食ジャーナリスト)という磐城壽。この本には、浪江の蔵元が避難先の山形でどのようにして復活したのか、酒造りへの希望を失わなかった一家と、それを取り巻く人々の姿が丁寧な取材を基に描かれている。  

 私は日本酒をほとんど飲まない。しかもこの本にあるように、かつて私の出身地である福島は安価な酒を大量に造る県として知られ、郷里の酒もこの部類に入っていた。こうした事情もあり、ほかの酒に比べ日本酒に対する興味は薄く、浪江町の「磐城壽」という銘柄も全く知らなかった。その磐城壽の鈴木酒造店は3・11の津波で被災し、さらに原発事故により一家で浪江を去らざるを得なかった。山形県米沢市のビジネスホテルに避難した一家は、この後長井市の蔵を借りて、この年の11月から酒造りを再開する。そして、震災から9年。ことし7月に浪江町に完成する道の駅には醸造施設も建設され鈴木酒造店も年間5万3千本の酒を造る計画が発表され、福島で酒を造りたいという一家の願いがようやく叶う日が近づいている。

 このように書くと順調な再生のように見えるが、内実は悪戦苦闘の日々だったことは言うまでもない。 「自分の息子の彦気は何も悪いことをしていないのに、原発の事故で愛する海辺の故郷を追われた。そして見知らぬ土地で苦労して育たざるを得なかった。浪江出身の多くの人が同じような悔しい経験をしているので、自分が酒を造ることで皆さんに自信をもってもらうためのお役に立ちたいと考えた。いや、実は、これは自分自身のためにやってきたことでもあるのです」  

 鈴木家の長男で蔵の代表である大介さんは、著者のインタビューに対しこれまでの体験を振り返って以上のように述べている。原発事故によって故郷を追われた人たちの思いを象徴する言葉といえる。この本は震災から最近までの鈴木酒造店の人たちが登場し(鈴木大介さんと弟荘司さんの葛藤は生々しい。子どもたちの日常の姿は微笑ましい)、さらに浪江や長井の歴史、鈴木一家を励まし支援する人々、日本酒に合う料理の数々も描かれ、著者の地道で粘り強い取材がうかがえる。

 第5章「故郷・浪江に帰る日」の終わりには「震災と原発事故で奪われた青い空ときれいな水。稲のよく育つ大地。それらを取り返したい、との強い気持ちを持って鈴木酒造一家が遠く離れた山里の地で酒造りを続け8年余りたった」という記述がある。避難先で同じような思いで故郷に帰る日を待ち望む人たちは少なくないはずだ。鈴木酒造店の人たちの苦闘しながら前を向く姿は、そうした人たちに希望の光を当てるものと受け止めている。その意味でも、この本は大震災と原発事故の被災者にエールを送る一冊だといえる。  

 余談だが、著者と私はかつて共同通信社社会部で同僚だった。寡黙であり、黙々と仕事をするタイプの記者だった。この本からは著者の食への好奇心と限りなく日本酒を愛する姿が浮かび上がると同時に、取材対象に信頼される姿も想像することができる。私の自宅の近くには、この本にも出てくる酒販店「いまでや」がある。日本酒とは縁の薄い私だが、近いうちにこの店で磐城壽を買い、「清らかな美しさ」を味わってみたいと思う。

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