小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1856 美しき星空の下で 原民喜の詩とコロナ

IMG_1633.jpg

 コロナウイルスが猛威を振るい出している中、ある会合に参加した。夕方から夜に続いた会合が終わり、自宅最寄りのJRの駅に着き、とぼとぼと歩き出した。しばらくしてやや疲れを感じ立ち止まった。ふと雲がない空を見上げると、星々がきらめいていた。今、日本を含め国際社会はコロナウイルスとの闘いに明け暮れている。空の星たちに言葉があったら「地球は悪戦苦闘の時代を迎えているが、まあ頑張りなさい」と、冷めたことを言うのかもしれない。  

 悪戦苦闘という言葉を象徴するのは、公立の小中高が3月2日から休校になるというニュースである。阪神淡路大震災東日本大震災の被災地で、多くの学校が休校を余儀なくされたことがある。しかし、全国一斉に休校になるケースを私は知らない。それほど、事態は深刻さを増しているのだろう。

 唐突という言葉が当てはまる安倍首相の独断なのだろう。この政策が正しいかどうかは歴史が証明することになる。それにしても、この人のやることは行き当たりばったりとしか思えない。江戸時代にあった「側近政治」が現代も繰り返されているのだろうか。  

 行き帰りの電車を表現すると、マスク姿の人々がスマートフォンにかじりついている。これが現代社会。この2つがないと、現代人から外れるのかもしれない。怒られるのを覚悟して言えば、久しぶりに電車を利用した私は不可思議な光景だと思ってしまった。  

 詩人で作家の原民喜の短い詩を思い浮かべる。原は被爆体験を描いた中編小説『夏の花』で知られている。何も知らずに、いきなりピカドンによって地獄を体験をした詩人ならではの詩である。

《遠き日の石に刻み/砂に影おち/崩れ墜つ 天地のまなか/一輪の花の幻/》  

 コロナウイルスの犠牲になった人々への鎮魂の詩も、いつか書かれるに違いない。