小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1877 絶望の裏返しには希望が 東野圭吾『クスノキの番人』を読む

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 古来、日本には神が木に依り付くという言い伝えがあった。全国の樹齢が千年以上という巨樹は御神木として、多くの人々の信仰の対象になった。東野圭吾の近刊『クスノキの番人』(実業之日本社)は、御神木である巨樹のクスノキに何かを求めようとする人たちと、そうした人たちをクスノキに案内することになった若者の物語だ。ベストセラーを連発するこの著者の作品はほとんど読んだことはない。2008年の『さまよう刃』を読んで以来である。この著者の作品の多くは推理小説だそうだが、近作は違っていた。それは……。  

 私が日本一の巨木といわれる鹿児島県蒲生町の「蒲生のクス』を見に行ったのは、2010年1月初めのことだ。森林ボランティアたちを取材した後、鹿児島空港に行く途中、少し時間があるため立ち寄った。八幡神社境内の西南にそそり立つこの巨樹は、樹高が30メートル以上もあり、近寄り難い雰囲気があった。詳しくは当時のブログ(下段、関連ブログから)に譲るが、それまで見てきた数多くの樹々とは違い、神々しさを感じた。  

 この木自体は本州、四国、九州、済州島、沖縄、中国南部、インドシナからの暖帯から亜熱帯に分布するが、古来各地に植栽されているので自然分布地域はよくわからないとされおり、我が国の樹木の中では最も巨木になる性質をもった木である」(八木弘『巨樹』講談社現代新書)という。  

 さて、東野の近作である。「多くは推理小説だそうだが、近作は違っていた」と上述した。確かに、殺人や誘拐、強盗、あるいは高齢者をだます「オレオレ詐欺」や「振り込め詐欺」といった特殊詐欺のことは全く出ていない。ただ、高齢化社会を反映した認知症や老人施設が重要場面で出てくる。そして、クスノキが御神木であることを濃厚に感じさせる内容になっており、絵空事ではなくこうした民間信仰が日本のどこかにあるのではないかと思ってしまうのだ。  

 恵まれない家庭で育った若者は、自暴自棄となり解雇された工場に忍び込んで盗みを働こうとするが、未遂に終わったうえ逮捕される。それを救ってくれたのは、会ったこともなく、その存在も知らなかった独り暮らしの伯母だった。この金持ちの伯母は、若者にクスノキの番人になることを約束させる。物語はこの後、クスノキ新月と満月の夜、「祈念」を捧げる人々が登場し、若者も少しずつ前を向いて歩き始める。結末は推理小説めいた展開だが、読み終えて私は人の生死を考えさせられる社会性の強い作品だと受け止めた。  

 私たちは今、コロナ(新型コロナウイルス)と闘っている。そんな時、人は何かに頼りたい。現実ではあり得ないと思いつつ近所のクスノキの下に立つと、人は絶望的状況にあっても希望を失ってはならないというテーマが底流にある、この小説の世界が蘇るのだ。

「木は神聖なものだ。木と話をし、木に傾倒することのできる人は、真理を体得する。木は、教訓や処世術を説くのではない。細かいことにはこだわらず、生きることの根本法則を説く」(ヘルマン・ヘッセのエッセイ「木」より)  

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