小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1621 村上春樹が受賞できない背景は ノーベル賞の問題点を洗い出した本

画像 2017年のノーベル文学賞は、予想外の日系英国人作家カズオ・イシグロだった。このところ毎年のように日本のメディアで受賞するかどうかで話題になる村上春樹は今回も受賞はかなわなかった。なぜだろう。ノーベル賞取材にかかわった共同通信社ロンドン支局の記者たちによる『ノーベル賞の舞台裏』(ちくま新書)を読んだ。そこには村上ファンを失望させる背景が記されていた。  

 ノーベル賞ノルウェーオスロで授与される平和賞を除き、文学賞や物理学賞など各賞がスウェーデンストックホルムで授与される。北欧には日本のメディアは支局を置いていないので、ロンドン支局の記者たちが取材の中心となり、東京から応援に行くこともあるそうだ。この本はロンドンからストックホルムオスロに飛んで取材を重ねた記者たちが、文字通りこの賞の舞台裏を様々な角度から描いたものだ。  

 このうち村上春樹については、第1章の文学賞の中で「日本の『ハルキ狂想曲』」、「期待先行か」の項で書かれている。村上春樹文学賞候補として期待されるようになったのは、2006年にチェコフランツ・カフカ賞を受賞して以来だ。これに続いてイスラエルエルサレム賞(2009)、スペインのカタルーニャ国際賞(2011)、ドイツのウェルト文学賞(2014)と次々に文学賞を受賞しているから、日本国内だけでなく国際的にも村上春樹は早晩受賞するだろうという声が根強い。だが、ふたを開けてみると、毎年その期待は裏切られる。

「期待先行か」の項には、文学賞を選考するスウェーデン・アカデミー前事務局長の「日本には村上春樹以外の優れた作家がたくさんいる」という声とともに、ノーベル博物館上級学芸員の「アカデミー内は、優れた作品を残しながら、いまだに大きな評価を受けていない作家に文学賞を送りたいという雰囲気だ」として、村上は流行作家になり過ぎたという見方を紹介している。

 それだけでなく選考委員の一人が、「安部公房に贈りたかったのに、急死(1993年)してしまった。安部に贈ることができなかった賞を村上に贈るわけにはいかない」と述べたことも書かれている。消息筋や地元の記者も、村上春樹が選考委員の間ではあまり評価されず、しかも彼のように人気のある作家は敬遠されがちで受賞は時期尚早だとみているというのだ。  

 村上作品は、欧米各地の書店でも翻訳本が山積みになっているという。それだけ一般読者には人気のある作家なのだろう。その一方で、スウェーデンの新聞に載った評論家の意見は肯定的なものは少なく、「取ってほしくない作家」という厳しい評価もあるそうだ。こうしたマイナスイメージの話は日本の新聞、テレビは報道しないから、受賞の期待を持ちながら肩透かしを食い続けるファンや書店関係者は、「来年こそは」と思い続けるのだ。

 この本は、文学賞だけでなく各賞の問題点を丁寧に洗い出していて、ノーベル賞とは何かという基本からその背景を理解するのに役立つ。この本を読むと、村上ファンの熱も少しは冷めるかもしれない。