小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1755 まさか、まさかの時代 トランプ大統領ノーベル平和賞推薦

画像

 米国のトランプ大統領が、北朝鮮問題で安倍首相からノーベル平和賞に推薦されたことを明らかにした。問題の多いトランプ氏をなぜ平和賞に推薦するのか、どうして? と、首をひねった。だが、トランプ氏は「あのオバマがもらったのだから、私ももらって当然」と思っているのかもしれない。トランプ氏が大統領に当選したこと自体、米国のメディアが予想もしなかった「まさかの時代」だから、ブラックユーモアと笑っていることもできない。  

 これまで米国の現職大統領で平和賞を受賞したのは、26代のセオドア・ルーズベルト(1906年、日露戦争の講和調停に尽力)、28代のウッドロウ・ウィルソン(1919年、国際連盟創設の立役者)、そして44代のバラク・オバマ(2009年、プラハ核兵器のない世界実現のため先頭に立つと演説)の3人だ。さらに39代のジミー・カーター(2002年、エジプトとイスラエルの和平交渉の仲介)は離任21年後に受賞し、2007年には元副大統領のアル・ゴア地球温暖化に関する啓発活動)が受賞した。  

 オバマ氏については、核兵器廃絶や国際社会の平和実現の救世主として活躍を期待する、いわば先行投資的な授与といわれた。しかし格調高い演説の割には、その後政治的成果が伴わず、授与は失敗という見方が一般的である。それは、日本人で唯一、1974年に平和賞を受賞した佐藤栄作元首相(安倍首相の祖父・岸信介元首相の実弟)にも言えるだろう。非核3原則(核兵器を持たず、つくらず、持ち込ませない)を日本の国是とする考え方を提唱し、70年に核拡散条約に署名したことが受章理由だった。  

 だが、やっていたことは違っていた。69年の米国との沖縄返還交渉で、有事の際には沖縄に核持ち込みを認める密約を当時のニクソン大統領と交わしていた(2009年に発覚)。日本政府が日米安保条約改定当時、米国が日本に核を持ち込むことを容認していたことが2010年に明らかになっており、「百年を超すノーベル賞の歴史の中でも、佐藤への平和賞授与は最も疑問視されている例の一つといえる」(共同通信ロンドン支局取材班編『ノーベル賞の舞台裏』ちくま新書)という指摘さえある。同書によると、佐藤元首相の推薦は当時の田中角栄首相や福田赳夫蔵相、大平正芳外相ら日本政府の閣僚16人が推薦人になっていた。  

 ノーベル委員会は、推薦者と非推薦者については50年間発表しない決まりになっている。だが、今回はトランプ大統領が「安倍首相が推薦の書簡をノーベル賞関係者に送った」ことを明らかにしたのだから、首相が国会で「コメントを控える」と言っても、うそではないだろう。米国政府からの依頼で推薦書を出したという見方もある。米国では「トランプ大統領が安倍首相と韓国の文在寅大統領とを取り違えたのかもしれない」と報道したメディアもあるが、文大統領ははっきり打ち消している。安倍首相は、まさかトランプ大統領が平和賞推薦のことをしゃべるとは思ってもみなかったのかもしれない。まさしく誤算といえるだろう。  

 前掲の『ノーベル賞の舞台裏』には、興味深い事実が記されている。「60年安保」で知られる1960年の日米安保条約改定当時の首相だった岸氏が、米国の上院議員の推薦によって、この年の平和賞の候補になっていたことだ。ちなみにこの年は日本の社会運動家賀川豊彦も平和賞候補になっており、日本人2人が候補(この年の受賞者は南アフリカの黒人解放運動指導者・アルバート・ルツーリ)に名を連ねていたことになる。また、吉田茂元首相が65年に、日本政府によって平和賞に推薦されていたことも紹介されている。いずれも50年を経て公表されたことである。今回のトランプ大統領のように、自分からノーベル賞候補に推薦されたと語るのは前代未聞であり、「まさか、まさか」の時代なのだと思う。

1621 村上春樹が受賞できない背景は ノーベル賞の問題点を洗い出した本