小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1933 流れに逆らう勇気 政権は高支持率だが……

IMG_1168.jpg

  人がみな

 同じ方向に向いて行く。

 それを横から見てゐる心。 

        (石川啄木『悲しき玩具』より)

  報道機関の世論調査で、30%台まで下がった安倍晋三内閣の支持率が、安倍氏の退陣表明(8月28日)直後に70%を超える驚異的回復を見せた。安倍政治の継承を唱える秋田出身の菅義偉氏が率いる菅内閣の支持率も60%台の高率という結果になったことを見て、へそ曲がりの私は啄木の歌と同じ思いになった。日本には本当に優しい人や健忘症の人が多いのかもしれない。

 科学政策についての提言を行う日本学術会議の新しい候補者について、会議側が推薦した候補者105人のうち6人が任命されなかったことが大きなニュースになっている。任命権は首相にあるという建前だが、これまで会議側の推薦が蹴られたケースはない。6人の中には安倍政権時代に成立した安保法制や共謀罪法に反対の立場をとった人も含まれている。この問題は、政府の方針に逆らう者は容赦しないという、菅政権の姿勢を示したと受け取ることができる。高い支持率を背景に官邸官僚が傲慢な手法を入れ知恵をしたのだろうが、菅政権の新たな火種になったといえる。

  共同通信社前論説副委員長の柿崎明二氏がマスコミ出身では初めて首相補佐官になった。「日本のジャーナリズムは利益相反(Conflict of interest)理念=ジャーナリストは取材対象との癒着を避け、外部の利益と隔絶しなければならない=が欠如している」と、読売新聞OBでジャーナリストの前澤猛氏は「メディア展望10月号」(新聞通信調査会)で、日本のマスコミの現状を厳しく批判している。柿崎氏の転身は、どう評価されるのだろう。利益相反とは無縁であると信じたい。

  前澤氏は読売OBといっても、渡邉恒雄氏や小田尚氏(読売新聞調査研究本部客員研究員と国家公安委員を兼務)ら政府寄りの姿勢を取るグループとは反対の立場にいる。この記事の中で前澤氏は、日本新聞協会の倫理綱領(1946年7月23日、日本新聞協会の創立に当たって制定)を2000(平成12)年6月21日に改定した際、草案にあった「利益相反概念」が最終案で、各社社長らの反対で削除されたという経緯を記し、日本のマスコミの在り方に懸念を示している。

 記事の最後には「政財官界を監視し、批判する機能が弱く、進んで政府機構に取り入ろうとする、あるいは取り込まれる日本のメディア――そうした権力の許容範囲に安住する日本のメディアとジャーナリスト……」とも記している。まるで、柿崎氏の首相補佐官就任を予測したような記事ではないか。この記事が書かれたのは、もちろんこの人事の公表前だった。

「流れに逆らう勇気のないライター(記者)は、職業選択を誤ったとしか言いようがない、そんな人は帳簿でもつけていた方が無難だろう」。米国のジャーナリストで共産圏問題をテーマに取材し、ピュリッツァー賞を受賞したハリソン・E・ソールズベリーの言葉である。この言葉を紹介した板垣恭介氏の『無頼記者』(マルジュ社)を読むと、取材対象と緊張関係を保ちながら、相手に信頼される記者を目指した著者の姿が浮かび上がる。板垣氏は柿崎氏と同じ共同通信社の記者だった。

  石川啄木は、ここで書くまでもなく、菅首相と柿崎氏が生まれた秋田県と隣接する岩手県の出身で、不遇、貧困、借金という3重苦に陥り26歳で夭折した。コラムニスト高橋郁男さんは、高い知名度に比して啄木全集は短めだが、「類のない珠玉がぎっしりと詰まっている」(コールサック社『詩のオデュッセイア』)と書いている。

 

追記。このブログに対し、敬愛する先輩から、以下のような感想が届いた。鋭い指摘です。

 

(安倍政権末期と後継菅政権の高支持率について)

 私は次のようなことを感じています。今の教育が就職の折に有利になるような実利追求を優先した結果、現代の若者の思考力が脆弱化した。就職について心配をする必要がないのは、安倍さんやアベノミクスのお陰だと信じてそれ以上何も考えない若者。昔の学生は私らの時代も含めて、もっと<もの>を考え、行動する若者だった。(現代の)<ものを考えない若者>が新しい自民現政権の岩盤的支持層になってきている。

 彼らは格差のことや財政の将来の危機を全く考えないで、今を幸せだと思っている。旧制高校のような教養を高める<リベラルアーツ教育>が消滅した結果の<今>。これは日米同じかな。これがトランプや安倍を生み、支えている。どうもますます悪い方向に向かう、日本そして米国のようです。

 

 

 写真 今朝、調整池周辺は霧が立ち込めた。駅前のビルは上階部分だけが見えた。

 

 関連ブログ↓

 

 

 1762 無頼の人がまた消えた 頑固記者の時代は遠く

 

 1889 信頼性を失った新聞の衰退 インテグリティを尊重せよ

 

 日本新聞協会倫理綱領