小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1600 世界的画家の心情 ピカソとゴッホを描いた原田マハ

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 世界的画家と言えば、だれを思い浮かべるだろう。ほとんどの人がパブロ・ピカソ、あるいはフィンセント・ファン・ゴッホの名をあげるはずだ。2人の天才画家をモチーフにした原田マハの『暗幕のゲルニカ』(新潮社)と『たゆたえども沈まず』(幻冬舎)を読んだ。原田は既にアンリ・ルソーをテーマにした『楽園のカンヴァス』(新潮文庫)を出しており、「アート小説」という分野で新しい境地を開いたといえるようだ。  

 以前のブログで書いたように、作家の沢木耕太郎、ピカソのゲルニカについて「世界中の巨大な錯覚の集合体のような気がしてならない。壁一面に掲げられたその絵に向かい合って、心を動かされることがまったくない」と、否定的見解を示した。だが、原田の作品を読むと、沢木の見解は巨匠に対する反旗か、あるいはこの絵に対する無理解からの批評のように思えてならないのだ。  

 ピカソゲルニカに込めたメッセージは「反戦」であり、巨大な錯覚の集合体ではないことは明らかなことである。版画家の西岡文彦は、ピカソの作品に一貫しているのは「なにを描いているかはわかる具象的作品でありながら、突拍子もなく形や色が実物とかけはなれていること」(『簡単すぎる名画鑑賞術』ちくま文庫)と指摘している。だが、実際にはピカソはデッサンの達人であり、伝統を破壊するために新しい手法の絵画を描いたことはよく知られている。  

 原田の小説は、ピカソの「ゲルニカ」の制作過程と9・11テロの後、米国・ニューヨーク近代美術館MoMA)でこの絵の展覧会を計画する話をクロスさせながら進行する。題名の『暗幕のゲルニカ』の「暗幕」の謎も次第に解き明かされる。  

 一方、『たゆたえども沈まず』は、パリを主な舞台に日本人画商、林忠正ゴッホを支えた画商の弟テオドルス(愛称テオ)ら実在の人物も登場し、ゴッホの傑作〈星月夜〉誕生に至るゴッホの生涯を描いた物語だ。作中、ゴッホがうわ言で話したという言葉が「たゆたえども沈まず」であり、それはパリを流れるセーヌを意味するのだと原田は書いている。パリへの執着を持ちながら、パリの生活を捨てなければならなかったゴッホの心情を示した言葉として使ったようだ。(実際にはパリ市の紋章に使われているラテン語の言葉である)  

 前述の西岡はゴッホの絵について「筆で絵の具をぐいぐい押していくような強引な線にある。これはおそろしくせっかちな性格だったゴッホが、下地の絵の具の乾燥を待ちきれず、次々と絵の具を塗り重ねて描いたことがから生じた技法」と説明。さらに「のたうつようなゴッホの筆づかいは、そのまま時代と社会に押しつぶされそうな私たち自身の心のあらがいを反映したものとさえいえる」(同)と述べている。  

 現在でこそ、だれもが知る存在になったゴッホだが、不遇な生涯だった。芸術の都、パリに憧れながら芽が出ず、浮世絵に魅せられ、日本への夢を抱きながらアルルで暮らしたゴッホは、夢半ばで心の病に侵され、37歳で亡くなる。死因は銃による自殺とみられている。不遇だったゴッホと自由奔放に生きたピカソ。この2人の物語を読むと、美術の本質について考えるヒントを与えてくれる。芸術とは多様な可能性を内に含む個性の発露であり、ピカソゴッホの作品は、現代に生きる私たちの心をとらえる輝きを持ち続けているのだと思われる。

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