小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1597「ゲルニカは巨大な錯覚の集合体」なのか? シャガール作品と既視感

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 遊歩道のけやきの葉が緑から黄色へ、さらに黄金色に変化した。その葉が落ち始め、遊歩道は黄金色の絨毯に覆われたようだ。《むさしのの空真青なる落葉かな》水原秋櫻子の句である。私が住むのは武蔵野ではないが、遊歩道から見上げる空はまさに蒼茫の世界が続いている。美術の秋だが、けがのために美術館に行けない。そんな時に一冊の本を読んで、ピカソの有名な絵、「ゲルニカ」について考えさせられた。  

 作家の沢木耕太郎は、戦場写真家として知られるロバート・キャパに関して何冊かの本を書いている。その一冊が『キャパへの追走』(文春文庫)である。キャパが撮影したスペインをはじめとする写真の現場を訪れ、その光景を沢木自身が写して追体験しようとする試みだ。キャパはスペインの内戦「スペイン戦争」で「崩れ落ちる兵士」という一枚をものにし、一躍世界的写真家になる。    

 共和国軍の民兵フランコ率いる反乱軍側に撃たれ、倒れる瞬間をとらえたといわれる一枚だ。この写真について沢木は「戦場で撮られた写真ではない」という見解を『キャパの十字架』(文春文庫)という本にまとめている。キャパの調査を続けた沢木は、何度も取材でスペインを訪れている。そして、首都マドリードに行くと、決まってピカソの「ゲルニカ」を見るために、ソフィア王妃美術館に立ち寄るのだという。  

 そんな沢木は「ゲルニカ」について、「世界中の巨大な錯覚の集合体のような気がしてならない」「壁一面に掲げられたその絵に向かい合って、心を動かされることがまったくない」と突き放した見方をするのである。ピカソはパリ在住当時、反乱軍を支援したナチスドイツ軍がバスク地方の小都市、ゲルニカを徹底的に空爆し、多くの市民が犠牲になったことを知り、この大作を一気に描いた。これに対し、沢木は「もし、人が、そうした説明を振り捨て、ただ素直に絵を見ることができたら、『ゲルニカ』を単なる思わせぶりな断片の集合体と感じることだろう」とも切り捨てている。    

 絵に対する受け止め方は、人それぞれだ。沢木は「ゲルニカ」という作品を酷評している。それなのに、なぜマドリードを訪れるたびに、この絵を見に行くのだろうか。それが理解できないし、違和感を持つが、その説明はこの本には書かれていない。「ゲルニカ」はベトナム戦争当時アメリカの反戦運動のシンボルとして扱われ、スペインのバスク地方では独裁政権への抵抗のシンボルとして、複製を飾る家庭が多かったそうだ。ニューヨークの国連本部安全保障理事会議場前にはこの絵のタペストリーが飾られている。  

 そんな政治的背景を沢木は嫌ったのだろうか。私は「ゲルニカ」を見てから数年後、シャガールの「戦争」という作品を見る機会を得た。戦争によって炎に包まれた街を描いた絵を見ながら、既視感を覚えたことが忘れられない。その時、頭によぎったのはまさしく「ゲルニカ」だった。

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写真 1、けやきの落ち葉が埋め尽くした遊歩道 2、真青な空を背景に赤く輝くピラカンサの実  

1311 「戦争」を憎むシャガールの絵 チューリヒ美術館展をのぞく  

515 巨匠の国は落書き天国 スペイン・ポルトガルの旅(2)