小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1483 静かな秋田の市立美術館 若冲展とは別の世界

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 先日、秋田市立千秋美術館の「最後の印象派」展を見た。20世紀初頭のパリで活躍した画家たちの絵80点を集めたものだ。入場者はそう多くはなく、ゆったりと時間が流れる中でじっくり絵を見ることができた。一方、上野の東京都美術館で開催中の伊藤若冲展は、多くの人が詰めかけ、入場待ちの長い列ができているという。それは異常な光景としか思えない。

 千秋美術館は、1989年にオープンし、戦後ニューヨークを中心に「幽玄主義」という抽象画で活躍した岡田謙三の作品を常設展示していることで知られる。すぐ近くには藤田嗣治の秋田の四季を描いた「秋田の行事」が展示された秋田県立美術館がある。

 印象派は19世紀後半のフランスを中心に活動したグループで、セザンヌやモネ、ルノワールといった著名な画家がいる。そうしたグループのスタイルを継承し、自然の中の光の表現を探求したのがエドモン・アマン=ジャン、アンリ・ル・シダネル、オーギュスト・ロダンら「最後の印象派」といわれる画家たちだ。この画家たちは前衛的活動に参加しなかったため、美術史の中で埋もれてしまったが、近年になって再評価されつつあるという。

 私はアンリ・マルタンの《野原を行く少女》の前で、多くの時間を割いた。野原を歩く少女。手には赤いバラ。花びらが少女の下半身から後方に流れている。少女は何を夢見ているのか―。 東京都美術館に長い行列ができている伊藤若冲も、最近急に人気になった画家である。若冲は米国で評価され、その後に日本で再評価されたという経緯がある。

 日本を含め東洋の美術品を海外に販売した山中商会の興亡を描いたノンフィクション、『東洋の至宝を世界に売った美術商』(新潮文庫)の中で、著者の朽木ゆり子は「異文化間の交流に、美術品の移動はつきものだ。美術品の場合は、人に先がけてその価値を発見した人々によって、新たな文化が創られることもある。そして、価値を発見するのが外国人である場合も稀ではない。(中略)最近の例で言えば、大成功したジョー・プライス・コレクション展がある。ジョー・プライスの信念と審美眼がなければ、普通の日本人が伊藤若冲や江戸琳派の美に夢中になるまでに、もっと時間がかかっていただろう」と書いている。

 プライスは米国の絵画収集家で、2006年~07年に日本各地の美術館で「プライスコレクション若冲と江戸絵画展」を開き、東日本大震災後には被災地の福島など3県で同様の若冲展を開いている。今回の都美術館の若冲展にも「鳥獣花木図屏風」など、プライスが所有する傑作が展示されている。

 それはさておき、海外や東京以外の地方の美術館で、山手線のラッシュ時並みの混雑を経験したことはない。その意味でも東京の美術館は異常としか言いようがない。若冲展では最大で5時間20分(320分)待ちという信じられない事態が出現したという。にわか絵画ファンが激増したのかどうか、まさに若冲狂騒曲的な状況だ。

 共催のNHKが繰り返し特集番組を流したこともあって、多くの人が若冲絵画に引き寄せられたのだろう。整理券を配布すべきだという声も出ている中で、24日が最終日。このまま入館をあきらめざるを得ない人も少なくないはずだ。暮れの12月13日から(2017年1月15日が最終日)京都国立博物館でも若冲展が開催されるというが、長蛇の列はここでもできるのだろうか。

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1472 奇想の画家の系譜 伊藤若冲から村上隆へ

1475 若冲作品の原画を見る 静嘉堂文庫美術館を訪ねて

1395 これが安藤忠雄の真骨頂 藤田嗣治壁画の秋田県立美術館

写真 1、秋田市立千秋美術館 千秋公園の反対側にある 2、市立千秋美術館近くの県立美術館(安藤忠雄が設計) 3、アンリ・マルタンの《野原を行く少女》(パンフより) にほんブログ村 美術ブログ 美術鑑賞・評論へ
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