小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1728 ルーベンス展でセネカに出会う 晩秋の西洋美術館で

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 好天に恵まれた過日、晩秋の上野公園を歩いた。3つの美術館で開催中の展覧会のどれかを見るべく早めに家を出た。10時過ぎにはJR上野駅の改札口を出て、美術館に向かった。しかし、2つの美術館は長い行列が続いていた。結局、入ることができたのは3番目と考えていた国立西洋美術館の「ルーベンス展」だった。美術の秋、興味がある展覧会を催している美術館に入るのも容易ではないという日本。名画ファンが多いということなのだろう。  

 上野駅を降りてまず目指したのは、東京都美術館だった。「ムンク展」で、かつて見た「叫び」を再度見ようと思った。だが既に長い列ができていて、チケットを買うだけで1時間待ちと言われて断念した。次に上野の森美術館に向かう。「フェルメール展」だから、たぶんこちらも無理かと思いつつ、到着すると、11時半からの分しか空いていないと言われた。1時間15分待ちである。短気な私は並ぶのは嫌いだから、ここも断念した。  

 その結果、最終的に入ったのが西洋美術館だった。正門には「フェルメール展」を意識してか、常設展にある「フェルメールに帰属」するという『聖プラクセディス』の案内表示も出ている。上野の森美術館に入れない方はこちらへどうぞ、という意味かと思ったりした。さて、ルーベンス(1577~1640)展である。西洋文化史家の中野京子は「色彩と光の豊穣、人物描写の的確さ、ドラマティックな瞬間の切り取りは、まさに天才の名に恥じない」(『名画の謎 旧約・新約聖書篇・文春文庫)と、旧フランドル(ベルギー西部とオランダ南部、フランス北部)のアントウェルペンアントワープ)を拠点に活躍したルーベンスを評した。  

 ルーベンスの絵は古典を重視したといわれ、ギリシア神話キリスト教などから題材を得た作品は、歴史の物語を再現したようで興味が尽きない。イギリスの作家ウィーダの児童文学で、日本ではテレビアニメにもなった『フランダースの犬』の主人公、少年ネロがアントウェルペン大聖堂(聖母大聖堂・ノートルダム大聖堂))の祭壇画「十字架降架」の前で死んだ場面はよく知られている。ネロは画家を目指していて、ルーベンスは憧れの画家だったという設定だった。  

 今回展示された中で、私は《セネカの死》(プラド美術館蔵)いう作品のルキウス・アンナエウス・セネカの表情に目を奪われた。作者は「ルーベンスと工房」とあるから、ルーベンスと弟子たちが一緒になって完成させたのだろう。ローマ時代ストア派の哲学者として知られるセネカは、スペインのコルドバで生まれ、ローマ皇帝・暴君ネロの師になる。しかし不興を蒙って引退、その後ネロを退位させようとする陰謀に巻き込まれて自決した「悲劇の人」である。  

 ルーベンスが描いた作品は、理不尽なことでこの世を去らざるを得ないセネカの絶望の思いを見事に表現している。苦悶の表情とは対照的に、その肉体は雄々しい。女性は豊満に、男性は筋骨隆々に描いたルーベンスの特徴なのだろう。この絵を見ながら、私は「死そのものより、むしろ死に付随するものが人を恐れさせる」というセネカの言葉を思い浮かべた。

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《セネカの死》の作品、画像はこちらから

写真1=国立西洋美術館、2=東京都美術館、3=上野の森美術館    

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