小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1492 コルビュジエの思想 世界遺産になる西洋美術館

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 建築家、安藤忠雄氏の愛犬の名前は「ル・コルビュジエ」というそうだ。どこかで聞いた名前だ。そう、フランスの20世紀を代表する同名の建築家(1887年10月6日―1965年8月27日)である。上野の国立西洋美術館を含め、彼が設計した建物が世界文化遺産への登録が確実になったというニュースが流れて間もなく1カ月になる。

 コンクリートの建物は現代では珍しくはない。それを広めたのはル・コルビュジエ(本名、シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ)だった。 手元に近代建築史の本がある。第二次大戦後、世界の建築界は2人の建築家によって花が開いたという。その一人はル・コルビュジエであり、もう一人はミース・ファン・デル・ローエ(1886年3月27日―1969年8月17日)である。

 ミースはドイツ出身でナチスから逃れてアメリカに亡命し、モダニズムの建築を手がけ建築界に大きな影響を与えた。一方、スイス出身でフランスを中心に活動したル・コルビュジエは、打ちっ放しのコンクリートが特徴のさまざまな建築物を残した。その一つが国立西洋美術館だった。

 同館はコルビュジエが設計した国内唯一の建物であり、実業家で美術収集家、松方幸次郎(弟の松方三郎は、登山家で元共同通信社専務理事)が収集した絵画を中心とした美術品(松方コレクション)が第2次世界大戦後、フランスから返還されたことを契機として建てられ、1959年(コルビュジエは1955年に来日して、西洋美術館を設計した)に完成した。

 西洋美術館には、何度か足を運び、あるいはその前を通ったことは数知れない。典型的なコンクリートの建物で気をとめたことはあまりない。それでも「国立西洋美術館世界遺産に」と書かれた旗が周辺に立っていたことは気付いていた。だが、それが実現するとはつゆほどにも考えていなかった。不明を恥じるばかりだが、ありふれた建物にしか見えなかったからだ。

 代表作といわれるロンシャンの教会も含め、コンクリートの打ちっ放しを基本とした建物は、斬新さにあふれていたと言ってもいいだろう。彼が1922年に提唱した近代建築の5原則は ▼ピロティ=2階以上の建物で1階の壁を取り去り、柱で構成する開放的空間 ▼屋上を憩いの場に活用する屋上庭園 ▼用途に応じて仕切れる自由な平面 ▼横長の水平連続窓 ▼自由なファサード(正面) これは現代建築では当たり前であり、珍しくはない。だが、いまから94年前は当然ながら革新的だった。

 隈健吾氏の設計による新しい国立競技場が木の建築という日本の文化を重視しているが、5つの原則のいくつかは当然ながら取り入れている。コルビュジエ、ローエとも大学で建築について専門的には学んでいない。現代日本を代表する建築家、安藤忠雄氏も同様だ。専門教育以前に、この3人には建築家としての天分があったに違いない。コルビュジエは『建築をめざして』という著書で、建築について「建築とは光のもとに集められた立体の、巧みで正確で壮麗な遊戯である」と述べている。

 それにしても世界は複雑だ。建築以前に住む家もなく、明日の食べ物にも困る人たちが多数存在する。この人たちにとって、世界遺産は全く無縁なのである。

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