小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1769 時代を映す鏡 水上勉の社会派推理小説再読

画像 水上勉の社会派推理小説といわれる一連の作品を集中して再読した。作品名を順番に挙げると『霧と影』『巣の絵』『海の牙』『爪』『耳』『死の流域』『火の笛』『飢餓海峡』(いずれも朝日新聞社発行の「水上勉社会派傑作選」より)である。いずれも、戦後の社会風俗を色濃く反映した作品だ。犯罪は時代を映す鏡だといわれる。そのことを意識しながら、これらの作品を読み進めた。  

 社会派推理小説として水上が最初に書いたのは『霧と影』だった。水上は社会派の作家、松本清張のベストセラー『点と線』に刺激を受けて洋服の行商をしながらこの作品に取り組み、殺人事件の中にトラック部隊事件(戦後不要になった大量の軍需品を運び出して売りさばいた非合法組織による窃盗団)など、当時の社会状況を材料に取り入れ完成させ、一躍社会派推理作家の仲間入りを果たした。また、『海の牙』は殺人事件の中に熊本の水俣病(作品では架空の水潟市が舞台)を織り交ぜ、この作品によって多くの人が水俣病公害に目を向けるきっかけともなったといわれる。

飢餓海峡』は映画やテレビドラマにもなった水上の代表的作品で、青函連絡船洞爺丸転覆事故」(1954年9月26日、台風15号の影響で洞爺丸が転覆し、1155人の死者・不明者が出た)と「岩内大火」(洞爺丸事故と同じ日に発生、市街の8割、3298戸が焼失し36人の死者が出た)をモデルにしたことはよく知られている。この作品の構想は、洞爺丸遭難と同じ日に町を焼き尽くした岩内大火があったことを、1961年に同町に講演に行った際に初めて知ったことがきっかけになったという。水上は東京に戻って当時の新聞を調べてみた。

 すると、洞爺丸事故は1面に大きく掲載されていたのに対し、岩内大火は3面の隅に1段で小さく扱われており、「大きな悲劇があると、もう一つの悲劇が片隅に押しやられる現実。これが作品の主題になった」(同書「『飢餓海峡』についてより」という。  

 私がなぜ今ごろになって水上の本を読み返したかは、そうあらたまった理由ではない。本棚の埃をはらっているうちにこれらが目に入り、偶然に一冊を手に取って冒頭部分を読んでみると、やめるのが惜しくなったという簡単な話である。読書の方法は人それぞれだろう。私の場合、同じ本を読み返すことはあまりない。だが、約2週間の時間をかけて水上作品を再読したことは無駄ではなかった。

 丸谷才一は『文章読本』(中央公論)で「名文であるか否かは何によって分かれるのか。有名なのが名文か。さうではない。君が読んで感心すればそれが名文である」と書いている。『飢餓海峡』をはじめとする一連の作品の水上の情景描写は、これに当てはまるのかもしれない。