小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1853 秀逸な『罪の轍』 最近の読書から

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 川越宗一の『熱源』文藝春秋)が第162回直木賞を受賞した。今年になってこの本のほか、須賀しのぶ『また、桜の国で』祥伝社文庫)、深緑野分『ベルリンは晴れているか』筑摩書房)、奥田英朗『罪の轍』(新潮社)を読んだ。いずれも大衆小説で、合間に芥川賞の古川真人『背高泡立草』(同)も手にした。前記の4作品は力作ぞろいだが、中でも『罪の轍』が秀逸だ。代表作ともいえる『オリンピックの身代金』角川書店)と同じ東京五輪前後を時代背景にした作品で、奥田はこの時代の日本の実情を的確に描き切っている。  

 この作品は、北海道礼文島から東京に逃げた20歳の青年による身代金目的の誘拐殺人事件をめぐる警視庁の刑事たちと青年の攻防を描いた社会派小説だ。東京五輪の前年の1963(昭和38)年に起きた「吉展ちゃん誘拐殺人事件」を彷彿させる展開は警察小説であり、推理小説でもある。さらに山谷という底辺の労働者が住む街が主要舞台になっており、ここに住む人たちの実態は昭和史の断面を映しているように見える。読み方は人それぞれだろうが、警察を取材した経験(警視庁捜査一課)を持つ私は、警察内部の動きに特に興味を抱いた。警察と対置する犯人及び山谷の人々の動きを克明に記した作品に虚構性は感じられず、ノンフィクション作品といってもいいほどの現実感があり、本田靖春の名作『誘拐』が頭に浮かんだ。

『熱源』は、樺太(現在のロシア・サハリン)に生まれたアイヌの少年とロシア占領下の旧リトアニアで生まれたポーランド人の青年を軸に、近現代の日本、ロシア、ヨーロッパの歴史を織り込んで展開するスケールの大きな物語だ。

『また、桜の国で』は第二次大戦下のポーランドを舞台とした歴史小説で、『ベルリンは晴れているか』も第二次大戦前後のドイツを舞台に、現地の実情を丹念に描写した直木賞候補になった作品だ。3作品とも巻末に載っている参考文献が多数に上るように史実をかなり参考にしていることが分かる。

『ベルリンは晴れているか』は、私がこれまでほとんど知らなかった戦時下のドイツの実情に触れていて、その描き方の詳細さに舌を巻くほどだ。日本人は歴史に疎い民族性があるから、文学界で近現代の史実・戦争を基にしたこのような作品群が生まれることは大きな意味がある。  

 最後に芥川賞を受賞した『背高泡立草』について。この作品で作者は何を伝えたいのか、よく分からなかった。芥川賞選考委員の松浦寿輝は月刊文藝春秋3月号で「一般観念がなく、ただひたすら特異性の記述しかない。古川氏なりの企図や構想があり、方法の追求があるのかもしれないが、彼は結局はただわけもわからぬまま書いているように見える」と厳しい感想を記している。「九州の島を舞台にした吉川家の歴史と現在を語る大河小説の一部」(同、堀江敏幸評から)らしいが、以前の作品を読んでいない者にはその辺のことが全く分からない。  

 吉川という家にゆかりのある福岡の人たちが、一族の実家の納屋の草刈りをする話で島の歴史が織り込まれている。作品に挿入された3つの挿話は島の歴史を紹介するためなのだろうが本筋との関連が私は理解できなかった。「小説を読むのは時間の無駄」と言って憚らない人を知っている。この人に『背高泡立草』を読ませたら、どんな感想を持つだろう。やはり「時間の無駄」というだろうか。芥川賞作品は理解困難のほか、つまらないものが少なくない。選考委員の責任大だと思うのだ。  

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