小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1737「12・14は屈辱の日」 名護市の土砂強行投入、民意は?

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 沖縄に関する動きの中で、幾度となく「沖縄県民の気持ちに寄り添う」という言葉が使われた。6月23日の沖縄全戦没者追悼式と10月12日の玉城デニー沖縄知事との会談で安倍首相が、さらに10月9日の翁長知事県民葬で首相の言葉を代読した菅官房長官もオウム返しのようにこの言葉を並べた。しかし、この言葉が全くのまやかしだったことが、米軍普天間飛行場移設工事に関連し名護市辺野古沿岸部に政府が土砂を強行投入したことではっきりした。  

 政府の姿勢は「沖縄県民の」を別に言葉に入れ替えると、よく分かる。「トランプ米大統領の」あるいは「米軍の」の方が適当なのだ。新聞の首相動静欄を見ると、政府が土砂を投入した14日の夜、帝国ホテルで日経新聞の会長、社長らと食事と出ていた。こんな新聞人がいるから、言葉と反対の政治をやっても平気の平左なのだろう。今日の新聞の社説を調べてみると、東京で出ている新聞では「辺野古に土砂投入 民意も海に埋めるのか」(朝日)、「辺野古の土砂投入始まる 民意は埋め立てられない」(毎日)、「辺野古に土砂 民意も法理もなき暴走」(東京)の3紙が土砂投入の強行を厳しく批判している。  

 一方で「辺野古へ土砂投入 普天間返還に欠かせない」(サンケイ)という容認する姿勢の新聞もある。読売は「辺野古土砂投入 基地被害軽減へ歩み止めるな」という見出しだが、辺野古移転容認の姿勢で書いているのは明らかだ。大阪に住む友人によると、読売新聞は社会面、第二社会面に辺野古の記事が載っていなかった。友人は「今日ほど酷い紙面は知らない」と連絡してきた。日経はこの問題には触れていないが、どう書くかは容易に想像できる。  

 ブロック紙と地方紙の多くもこの問題で社説を載せている。いずれもが、土砂の強行投入を厳しく批判しているのが特徴だ。北海道新聞中日新聞信濃毎日新聞(長野)、新潟日報京都新聞神戸新聞愛媛新聞佐賀新聞、南日本日本(鹿児島)――である。「民意無視した暴挙」「民主主義の危機」という見出しは、政府関係者に猛省を迫るものだ。沖縄の新聞は、「辺野古 [土砂投入強行]自治破壊の非常事態だ」(沖縄タイムス)「辺野古へ土砂投入 第4の「琉球処分」強行だ」(琉球新報)――と土砂投入強行をより深刻に受け止めている。これら圧倒的多数の新聞の批判は、民意ではないか。琉球新報の結びが胸に突き刺さる。

《歴史から見えるのは、政府が沖縄の人々の意思を尊重せず、「国益」や国策の名の下で沖縄を国防の道具にする手法、いわゆる植民地主義だ。土砂が投入された12月14日は、4・28などと同様に「屈辱の日」(注・1952年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効し日本は独立。しかし沖縄や奄美は日本から切り離され、沖縄は1972年に本土復帰するまで戦後27年間米施政権下にあった。この間、沖縄には日本国憲法が適用されず、過重な基地負担、人権じゅうりんが続いたことから4・28は「屈辱の日」と呼ばれる)として県民の記憶に深く刻まれるに違いない。だが沖縄の人々は決して諦めないだろう。自己決定権という人間として当然の権利を侵害され続けているからだ。》  

 岩屋毅防衛相は15日、視察先の北海道千歳市で米軍普天間飛行場沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設について「日米同盟のためではない。日本国民のためだ」と述べたという。沖縄の人々も国民であるはずだが、政府関係者はそうは思っていないのかもしれない。「安倍政権が口を開くたびに強調する『沖縄に寄り添う』姿はみじんも感じられない」という沖縄タイムスの指摘を見て、「理性のある動物、人間とは、まことに都合のいいものである。したいと思うことなら、何にだって理由を見つけることも、理屈をつけることもできるのだから」というベンジャミン・フランクリン(米国建国の父の1人といわれる政治家で物理学者)の言葉を思い出した。  

 写真は那覇首里から見た夕陽。この方向に普天間がある。さらに右方向に名護がある。