小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1738 歳末雑感 「接続狂の時代」について

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 チャップリンによる「黄金狂時代」(1925)「殺人狂時代」(1947)という2本の名画がありますね。この2本の映画の題名を彷彿とさせる言葉に出会いました。「接続狂の時代」です。詩人の高橋郁男さんが詩誌に連載している、小詩集で書いていました。これはまさに、スマートフォンに頼る現代社会の人々の姿をとらえた言葉ではないかと、私は思うのです。  

 高橋さんから、最近詩誌「コールサック」に連載中の小詩集『風信』12』が届きました。今回は最初に「味の十語」として、10の言葉とユニークな解説があり、8つ目に「うつむく」が選ばれ、そこに「接続狂の時代」が出ていたのです。

《朝、開いたパソコンの画面にうつむき 通り道でスマホにうつむき 段差でつまづきそうになり すれ違いで危うく身を躱(かわ)し 電車でまた スマホにうつむく 絶え間ない接続を求め続けて 直(ひた)むきに 俯(うつむ)きになる 「接続狂の時代」を象徴する 不気味な味です》  

 確かに、現代は人々が「うつむく」姿が常態化している時代といえるでしょう。先日、ソフトバンクの接続(通信)障害が発生し、大きなニュースになりましたね。スマホに頼りきった多くの人々は、その不便さを思い知ったはずです。歩きながら、あるいはひどいケースだと自転車に乗りながらスマホを見ている人がいますね。電車の中で座っている人たちの大半がスマホの画面を見ていることも珍しくありません。これらを表す言葉が「接続狂の時代」なのです。「接」という文字は、今年1年を表す漢字と考えてもいいでしょうが、この傾向はこれからも続くのは間違いないでしょうから、別格としてランク付けしてもおかしくはないでしょうね。  

 今年は自然災害が相次いだことは、皆さんご記憶の通りです。2011年の東日本大震災、東電福島第1原発事故から7年が経過しましたが、原発事故の後遺症は癒えていないのです。廃炉作業は気の遠くなるような長い時間との闘いですし、まだ多くの人たちが故郷を追われたままになっているのです。それにもかかわらず、東京電力は公式ツイッターや写真共有アプリ「インスタグラム」に、福島第1原発4号機の使用済み核燃料プールの写真を投稿した際、検索の目印となるハッシュタグを「#工場萌(も)え」と付け、批判を浴びました。  

 原発事故で多くの人々が故郷を奪われただけに、工場の景観を愛するという意味の投稿は想像力の欠如そのもので、原発事故を軽く考えた結果なのでしょうか。私はこのハッシュタグ問題も、接続狂時代のあだ花(咲いても実を結ばない花)と思えてならないのです。  

1588 ある秋の詩 小詩集『風信』より