小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1749 本土作家が描いた苦闘する沖縄の姿 真藤順丈『宝島』を読む

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 沖縄には「ナンクルナイサ」(どうにかなる、何とかなるから大丈夫)という言葉がある。だが、この本を読んで、言葉の響きは軽くてもその意味は重いのではないかと考えた。それほどに本土に住む私でも胸が苦しくなるほど、沖縄は米軍と日本政府に苦しめられたことが理解できるからだ。それに抗った若者を描いたのが直木賞を受賞したこの作品である。賞の選考委員は「明るい内容」と評した。そうだろうかと思う。この本は4人の男女を軸にした1952年から1972(本土復帰)年までの沖縄の苦闘の物語である。  

 戦後の沖縄・コザ(現在の沖縄市)に3人の少年(オンちゃんと弟のレイ、オンちゃんの親友グスク)と1人の少女(オンちゃんの恋人ヤマコ)がいた。沖縄戦を生き延びた4人は幼なじみであり、少年たちは米軍基地に忍び込んで物資を盗み出し、それをコザに住む貧しい人たちに配っている「戦果アギヤー」(戦果をあげる者)だ。ある時、少年3人は嘉手納基地に多くのアギヤーとともに入り込むが、米軍に見つかり大多数の者が逮捕される。リーダーのオンちゃんはこの事件をきっかけに姿を消し、レイとグスクは刑務所で服役する。時を経てレイはやくざにグスクは沖縄県警の刑事にと正反対の道を歩み、ヤマコは教員となって沖縄返還闘争に力を入れる。  

 沖縄は米軍の犯罪が横行する。そんな中で、ヤマコによって言葉を回復したウタという、この物語のもう一人の中心人物になる男の子が出てくる。レイは、反米強硬派による米軍高等弁務官暗殺未遂事件後、姿を消す。そして10年。作品のヤマ場がやってくる。コザ騒動と米軍嘉手納基地に貯蔵されていたVXガス(致死性の毒ガス)をめぐってレイとグスクの嘉手納基地への潜入だ。  

 コザ騒動は、1970年12月20日未明に発生した沖縄住民による反米焼き打ち事件である。米軍人による交通事故をきっかけに米軍憲兵の住民無視の事故処理と威嚇発砲に市民の怒りが爆発、約5000人の群衆が米軍車両75台、武装出動した憲兵隊約300人に投石、多数の負傷者を出した、沖縄の戦後史に刻まれた事件である。この騒動の最中、嘉手納基地に潜入したレイとグスクは米軍兵士に発見されてしまう。追い詰められた2人を救おうと現れたのがウタだった。ウタはオンちゃんの行方にも大きなかかわりを持っていた……。

 冒頭に「4人の男女を軸にした1952年から1972(本土復帰)年までの沖縄の苦闘の物語である」と書いたが、生きているオンちゃんが出てくるのは第1部のみであり、この後、オンちゃんに代わって重要な役割を演じるのがウタである。全体を通じればオンちゃん(ウタ)、レイ、グスク、ヤマコの戦後史であり、彼らを取り巻く人物たちもそれぞれに強い個性を持っていて、それがこの作品の魅力になっている。  

 ここまであらすじを書いてきたが、この後の結末はこれからこの作品を読む人たちのために割愛する。この作品は勧善懲悪の物語ではない。悪い奴が次々に出てくる。だが、そうした悪い奴でもしぶとく生き延びる。この作品には瀬永亀次郎や屋良朝苗ら沖縄の戦後史に足跡を残した実在の人物も登場する。この作品は私を含めた本土に住む人間に、沖縄についてもう一度考えねばならない「命題」を突き付ける。これでいいのか日本はと――。沖縄戦とともに、沖縄の戦後は尋常なものではなかった。  

 作品のラスト近くに「おいらたちは、どこに行くんだろう。どこから来て、どこに向かうんだろう」という言葉がある。それはかつては琉球王国だった沖縄の人たちの解けない疑問のように思えてならない。この作品はエンターテイメント性もあり、多くの人に読まれることは間違いないだろう。沖縄に関して通暁していることから、作者は沖縄出身者かと思ったが、そうではないという。この作品が沖縄の人々の琴線に触れるかどうか私には分からない。ただ、こうした作品が本土の作家によって書かれたことは大きな意味があると思うのだ。  

 12月から今月にかけて那覇に滞在した際、琉球新報社旧社屋の「琉球新報新聞博物館」(那覇市天久)に足を運んだ。そこには沖縄の歴史を記す新聞が展示されていて、特に沖縄戦と米軍基地の実態に関する記事が目に付いた。1人で館内を回りながら、沖縄は米軍のくびきから抜け出せない現実が続いていることに慄然とした。  

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写真 1、首里の崎山公園で咲き出した寒緋桜 2、琉球新報新聞博物館に展示された米軍基地反対県民集会の写真 3、同 沖縄返還で日米合意したニュースの速報記事