小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1743 琉球王朝の初春儀式を見る 続・坂の街首里にて(3)

画像

 新年を首里で迎えた。すぐ近くの首里城では約450年続いた琉球王朝時代に行われていた正月の儀式が公開された。初もうでは首里城周辺の3つの寺を回った。私の干支・酉年にちなむ寺で引いたおみくじは大吉だった。

 さて、今年の世相はどうなるのだろう。沖縄の2つの新聞の社説は「[辺野古 重大局面に]国会で説明責任果たせ」(沖縄タイムス)、「新年を迎えて 日本の民主主義は本物か」(琉球新報)――という見出しで、米軍普天間飛行場辺野古移設に伴う新基地建設を政府が強行している問題に触れていた。    

 琉球・沖縄の歴史をみると、12世紀ごろから各地に出現した按司あじ)と呼ばれる豪族が抗争と和解を繰り返していたが、1429年に尚巴志(しょうはし)がこれら主要な按司を統合、琉球王国が成立し、独自の海洋国家として発展した。首里城はその政治、経済、文化の中心だった。だが、1609年、薩摩藩によって侵略され、以降琉球薩摩藩の従属国になった。さらに明治維新後、武力を背景にした明治政府によって「琉球国の廃止と琉球藩(1872年)の設置」、「琉球藩の廃止と沖縄県設置(1879年)」という琉球処分政策が実施され、琉球王朝は完全に滅び、沖縄は日本の一県になった。  

 琉球新報は「ことしは1879年の琉球併合(琉球処分)から140年になる。沖縄を従属の対象として扱う政府の姿勢は今も変わっていない」と日本政府を批判。さらに「辺野古での新基地建設の強行は、日本から切り離された1952年のサンフランシスコ講和条約発効、県民の意に反し広大な米軍基地が残った日本復帰に続く、第4の『琉球処分』にほかならない」とも書いている。    

 そんな背景を考えながら、首里城で公開された正月の儀式「朝拝御規式=ちょうはいおきしき」(第一部・子之方御拝=にぬふぁぬうぬふぇ、第二部・朝之御拝=ちょうぬうぬふぇ、第三部・大通りり=おおとーり)を見た。年頭に当たり、国王はじめ諸官、庶民の代表が平和と平穏を祈り、琉球の繁栄を祈る儀式である。外国人が過半数とも思える観光客が見入る中で続いた古式ゆかしい儀式は、出演者の服装を含め往時をしのばせるものだった。首里城は、太平洋戦争の沖縄戦と戦後の琉球大学の建設で破壊されたが、1980年代末から1992年にかけて復元され、現代は多くの観光客が詰めかける那覇観光の中心になっている。    

 沖縄には「ナンクル、ナンクルナイサ」という方言がある。「どうにかなるさぁ」「何とかなるさぁ」という意味だという。沖縄は日本から侵略され、差別され続け数々の試練を体験し「ナンクルナイサ」の精神で乗り切ってきた歴史がある。それは決して投げやりではなく、前を向いたものだったのではないだろうか。そして、現代でもその精神は生きていると信じたい。(続く)  

画像

 

画像

 

画像

 

画像

 

画像