小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1736 犯人は過酷な人生? 3億円事件から50年

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 東京・府中で3億円事件が発生したのは今から50年前の1968年12月10日だった。「強盗罪」なら公訴時効は10年だが、この事件は「窃盗罪」に該当したため7年後の1975年12月10日に時効となり、警視庁の捜査本部も解散した。時効成立後43年が経ている。だが、時として真犯人を名乗って話題を集めるケースが少なくないのは、この事件が日本の犯罪史上、現金を奪う(正確には盗む)手口が鮮やかなうえ、当時としては巨額の被害額だったことがあげられる。  

 その手口はいまさら書く必要がないだろう。白バイ隊員を装った男が現金輸送車の運転手らには危害を加えずに大金を奪い、しかも多くの証拠品がありながら、警視庁の捜査本部は犯人を割り出すことができなかった。さらに、優秀なはずの日本警察の捜査力の弱さを露呈したものといわれた。この事件の捜査に当たった警察官は膨大な数になるだろう。それらの捜査関係者は、事件を解決できなかったことに歯ぎしりするほど悔しい思いを抱いたはずだ。  

 事件が発生したのは府中市で犯人が奪った現金輸送車を乗り捨てたのは国分寺市だった。そのため捜査本部は三多摩地区に土地勘(地域の事情や地理に詳しい)のある者の犯行との見方を強め、手当たり次第にこの地区に住む若者を中心に素行を調べた。私の友人数人も私服刑事に話を聞かれたことがある。それほど、警察の威信を賭けた捜査だったはずだ。警察関係者の息子の不良グループの犯行という有力情報があった。その息子は不審死してしまった。そして、結果的に事件は迷宮入りになった。  

 当時の3億円といえば、私たち庶民にとっては、夢のような額だった。1968年の大卒初任給の平均は3万600円(厚生労働省賃金構造基本統計調査)といわれたから、まさに3億円は気の遠くなるような金だった。経営者の報酬もそう多くはなかった。日本社会はこの後、経済の高度成長とともにグローバル化の影響が大きくなった。今では億を超える報酬を手にする経営者は珍しくなくなり、日産元会長のゴーン氏のような途方もない報酬を手にする人物も出てきた。  

 とはいえ、いまでも3億円という数字はやはり、ため息の出る巨額である。犯行までに周到な準備をしたとはいえ、犯行時間は短時間だったから、犯人にとって効率のいい犯行だっただろう。事件の真相は闇に包まれたままである。この事件を起こした犯人は、警察に捕まり裁判にかけられることはないものの、罪を背負っての人生はつらかったに違いない。人間は弱い動物だから、大胆な事件を起こしたとはいえ、良心の呵責にさいなまれ、過酷な人生を送ったかもしれない。そうでなければ、この世に正義はない。  

293 誘拐捜査 歳月を経て浮かんだ事の深層