小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1656 坂の街首里にて(6) 画家たちが住んだニシムイ

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 那覇市首里の一角に、かつて画家たちが住み、駐留米軍の関係者と交流した「ニシムイ」と呼ぶ地区があったことを、今回初めて知った。2009年には沖縄県立博物館・美術館で、この画家たちの美術展も開催されたという。ニシムイの画家たちの存在を知ったのは、偶然立ち寄った書店で手にした1冊の本からだった。  

 美術をテーマにした多くの作品を書いている原田マハの『太陽の棘』(文春文庫)という小説だ。戦勝国米国人の視点で戦後の沖縄と美術家たちの活動をとらえる試みであり、美術の世界には国境の壁がないことを訴えている。実在の玉那覇正吉(たまなは せいきち)による「スタンレー・スタインバーグ」という米国人精神科医肖像画が表紙に使われている。  

 73年前の6月23日。悲惨な沖縄戦終結した。その3年後からこの物語は始まる。沖縄駐留の米軍の軍医としてやってきた絵画を趣味に持つ若い精神科医(スタインバーグがモデル)が同僚と愛車のスポーツカー、ポンティアックでドライブの途中、首里のニシムイ(現在の那覇空港首里を結ぶモノレールの終点一つ前の儀保駅近く)に迷い込む。そこで貧しいながらも、目を輝かせた若い日本人画家たちと出会い、交流を深めていく。戦勝国民と敗戦国民、征服者と被征服者という壁が存在していた沖縄で、このような親密な交流があったことに驚くのだが、この作品は現実の話を基にしているという。  

 その交流にも、終わりの日がくる。将校によるニシムイの画家への狼藉を怒った主人公は、将校を殴って負傷させ、強制帰還になる。ニシムイの画家たちと別れの言葉を交わすことができないまま、帰国の船に乗った主人公は甲板上からニシムイ方向から船に向け7つの光が輝いているのを見る。それはかつて主人公が画家たちに贈った7つの鏡を反射させた、別れを惜しむための光だった。

「ニシムイの丘は、太陽を集めて、まばゆい光の棘を作っていた」というラストシーンは美しい。原田は2009年、沖縄県立博物館・美術館で開催されたニシムイの画家たちの作品展を見た後スタインバーグ氏にインタビューし、この作品を書いたのだという。原田の温かな眼差しが隅々まで及んでいることが伝わる作品といえよう。  

 ニシムイは、戦前に東京美術学校で学び、池袋の隣の落合で過ごした沖縄出身の名渡山愛順と山元恵一が中心となり、米軍の支援で破壊されつくした那覇首里城の北に画家たちの村を建設し、その場所からニシムイ美術村と呼ばれた。玉那覇正吉(後の琉球大教授)、安谷屋正義、安次嶺金正ら、戦後の沖縄を代表する画家となった人たちもそのメンバーだった。

 作品は当初、米兵相手の土産として制作されたものとみられていたが、県立博物館・美術館に展示された画家の自画像や占領下の風景などから、芸術家として懸命に新しい表現に挑んだニシムイ美術村の画家たちの取り組みが再評価されたという。(続く)

 

石の家に息づく70年前の美術村(那覇市)|オキナワンダーランド[17]

 

 

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