小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1748「崎山公園」雑感 続・坂の街首里にて(7)完

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 坂の街首里から約3週間ぶりに平坦な千葉に戻ってきた。首里の街は急な上り下りが多く、しかも雨の日は石畳が滑りやすく、歩くことにかなり気を使った。体も疲れやすかった。そんな日々を過ごし、わが家周辺を歩くと、妙に足が軽い。スポーツジムで鍛える必要がないほど、首里での生活は筋力トレーニングになったようだ。

 日本には美しい坂が各地にある。首里以外では、北から並べると函館の八幡坂、平泉・中尊寺の月見坂、鎌倉の化粧坂切通し、熱海海光町の石畳の坂、京都の三年坂、神戸の北野坂尾道の千光寺新道、長崎のオランダ坂、平戸の寺院と教会の見える坂道、――などである。これらの坂道と比べも首里金城町の石畳)は引けをとらない。そこに住む人たちの暮らしは楽ではない。その一方で、高台ゆえの眺望には魅力がある。滞在していたマンションのベランダに出ると、那覇の街が一望できた。白いビルの美しい風景広がり、後方に青い海も見える。かすかに慶良間諸島の島影もある。  

 首里城にも那覇の全景を見ることができる場所(西のアザナ)があり、そこは多くの外国人でにぎわっていた。首里城から徒歩6、7分の所にある「崎山公園」は人影も少なく、私の憩いの場所でもあった。私は那覇滞在中、ほぼ毎日この公園の展望台から那覇の街を眺めた。朝、公園に足を向けると、近所のおばさんがごみを集めていて、公園はきれいになっている。おばさんとは昨年4、5月に那覇に滞在した際に知り合いになっていたから、朝の挨拶を交わす。すると、彼女は「ラジオ体操をやりませんか」と私を誘った。  

 前回の那覇滞在中、崎山公園の下にある見晴台という公民館広場で行われていたラジオ体操に参加させてもらった。彼女はそのことを覚えていたのだ。しかし、真冬の沖縄の6時半(ラジオ体操が始まる時間)はまだ真っ暗だから、いくら気温が20度以上と暖かでも、私は外出を躊躇した。彼女は「暗くても街灯があるので、大丈夫ですよ」とは言ってくれたが、今回の参加は遠慮した。  

 彼女はごみを拾った後、展望台からしばし首里の街を眺めると、去っていく。私が公園から家に帰ろうと下っていくと、通学路に立つ長身のおじさんが大きな声で「おはようございます」と声を掛けてくれる。その声を聞くのは気持ちのいいものだった。  

 雨の首里を歩いていて何度か転びそうになった。比較的新しい運動靴を履いていても下り坂は滑りやすく、気をつけているのに足が取られそうになる。何とか転倒は免れたのだが、雨の日や雨が降った後の散歩は危険だった。長年首里に住んでいる高齢者たちは、そんな道でも慣れているのか問題なく散歩しているように見える。以前札幌に住んだことがあるが、雪の道で転ぶのは東京などからの転勤者ばかりだったことを思い出した。  

 沖縄では、2月に辺野古の米軍基地建設の賛否を問う県民投票が予定されている。3分の1の有権者が住む5市の市長が議会の反対を理由に投票に協力しないと表明していて、混迷が続いている。首里から離れる日、崎山公園から那覇の街を見下ろしながら、基地問題の行く末はどうなるのだろうと、考えた。(1回目に戻る)