小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1655 坂の街首里にて(5)伝統のハーリーを見る

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 滞在している首里から泊の港が見える。大型観光船が入っているのも目視できる。以前、この港から阿嘉島行きの高速船に乗ったことがある。ここは離島への船が出る港だ。同時に毎年、連休中には伝統の「ハーリー」があり、多くの見物客を集める。子どもの日、私も混雑するハーリー会場に行った。この行事に参加した家族の一人を応援するためだった。  

 これまでハーリーとは全く縁がなかった。中国から伝わった、海の安全を祈るお祭りという程度の認識しかない。何しろ、人込みは好きでないからお祭り騒ぎは敬遠していた。しかし、今回は違う。転勤で那覇に住んだ家族の一人が、この街の人たちに早く溶け込みたいのと、小学生の娘が喜ぶだろうという理由で参加したため、その応援を兼ねて泊に出かけたのだ。  

 地元の新聞にはハーリーの記事と写真が載っている。しかし、その歴史は沖縄の人なら常識のようで、記事にはない。共同通信の配信記事は以下の通りだ。 「船をこぎ、速さを競い合うことで豊漁や航海の安全を祈願する沖縄の伝統行事『那覇ハーリー』が5日、那覇市那覇港で開かれた。青色や黒地の衣装を身にまとった男たちが櫂を勇壮にさばく姿に、観客は声援を送った。この日のメインイベントは、地元3地区対抗の「本バーリー」。竜を模した全長14.5メートルの色鮮やかな「爬竜船」に42人ずつが乗り込み、往復約600メートルを競った。こぎ手は各船とも32人。船首にいる人が打ち鳴らす鐘の音に合わせ、勢いよく水をかいた。ハーリーは約600年前に中国から伝わり、一時途絶えていたが、1975年に復活した」  

 この記事のように、本土復帰後に再開されたハーリーは今回で44回目になる。ゴールデンウィークに開催されるから、これまでこの祭りを見た人は少なくないだろう。そんな伝統の祭りだが、初めて見た私には新鮮なイベントだった。家族はハーリーの最後の3地区対抗に出場した。練習は1回だけだったと聞いて、このチームは大丈夫かと思った。「御願バーリー」という海の安全を祈願するハーリーをやった後、対抗戦「本バーリー」があった。往復400メートルの距離を必死で漕ぎ、ほぼ4分~4分30秒で終わる短時間のレースだ。  

 家族が参加したチームは最下位の3位だった。だが、充実感、達成感は海から上がってきた顔を見れば、すぐに感じた。お祭りというのは、阿波踊りのように見ている側よりも参加している側の方が楽しいに違いない。首里に戻ってから、夜、ベランダから港を見ると花火が打ち上げられている。岸壁では、まだ多くの人がハーリーの余韻を楽しんでいるのだろうと思いながら、ビールを飲んだ。(続く)

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