小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1642 「玄鳥至る」(つばめきたる)ころに 子ども時代の苦い思い出

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 南からの強風が吹き荒れたと思ったら、急に木々の葉の緑が濃くなってきた。二十四節気でいう「清明」のころであり、七十二候の初候「玄鳥至る」(つばめきたる)に当たる。散歩コースの調整池周辺にも間もなくツバメが姿を現すだろう。ツバメといえば、冬の間東南アジアあたりで過ごし、数千キロの旅をして日本にやってくる春を告げる使者的な野鳥だ。私は子どものころツバメが大好きだったにもかかわらず、あるいたずらをしてしまった。いまでもツバメを見ると、その苦い思い出が蘇る。  

 私の生家では当初、長屋門の軒下にツバメが巣をつくった。しかし、この巣に産んだ卵は、蛇の青大将に飲まれてしまったり、あるいはひなが生まれても猫に食べられてしまったりして、ツバメの子どもが育つのは大変だった。この場所は危険と察知したのか、いつのころから巣は本宅の軒下に移った。だが、ここも同じことが繰り返された。私が小学3年生になったころ、ツバメは開け放しになった座敷の天井に巣をつくった。ここなら安全と思ったのだろう。飼い猫にも狙われにくかった。ひなが数羽生まれ、母親や姉たちは巣から落ちてくる糞掃除が日課になった。

 翌年、母はこの場所に天井から竹でつくった円座という夏の敷物を吊ってやった。天井の巣から糞が落ちてもここにたまるから、畳は汚れない。毎日掃除をしなくても済みそうだった。昼間の親ツバメの出入りはうっとうしいが、子ツバメの成長を見るのは家族の楽しみだった。翌年もツバメの季節になると、母は同じ作業をしてやり、ツバメたちも当然のように座敷に出入りを始めた。  

 しかし、いたずらが好きだった私は、ある日、椅子を使ってこの円座を取ってしまった。ツバメは巣づくりの途中だった。戸惑ったツバメたちは座敷の中を飛び回ったあと、外へ飛び去り、もうわが家には来なくなった。この心ないいたずらは、母や姉たちに叱られたことは言うまでもない。  

 そのころ、私はもう一つのいたずらをした。庭の隅にあった樹齢数百年の五葉松の大木の幹にできた空洞にフクロウが生んだ卵を兄と一緒に取り出し、卵かけご飯にして食べてしまったのだ。人間のわんぱく小僧は、野鳥にとって迷惑な存在だったに違いない。不思議なことに、こうした子ども時代のことは今でも忘れない。苦い思い出なのだが、懐かしい気持ちになる。  

 来ることのうれしき燕きたりけり 石田郷子

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 962 新緑の季節の木との対話 悲しみ、生きることに耐えられないときは…