小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1641 読んだふりの本『一九八四年』 そして映画『ペンタゴン・ペーパーズ』

 読んでもいないのに見栄を張って読んだふりをしてしまうという本があるという。イギリスではその「読んだふり本」のトップがジョージ・オーウェルの『一九八四年』だと、日本版(ハヤカワ文庫)を翻訳した高橋和久さんが書いている。内容が暗く、難解なだけに買ってはみたものの「積んでおく本」になっていたが、ベストセラーなので読んだかと聞かれたら、読んだと答える人が多かったのだろう。大長編のマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』も、同じかもしれない。

 私は2010年に「一九八四年」を買い、1週間近く要してようやく読み終えた記憶がある。私の場合も、途中で投げ出し「読んだふり本」あるいは「積んでおく本」になった可能性もあるが、何とか読み続けた。一方、日本の一部官僚の間でこの本は愛読書になり、あるいは職務上のバイブル的存在になったのではないか。それは言うまでもなく、財務省の役人たちのことだ。彼らの森友学園に絡む国有地売却に関する決済文書改ざん問題を見ていて、こんな皮肉を言いたくなる。  

 この本は、ある全体主義国家の真理省記録局という歴史の改ざん作業をする部門に勤務するウィストン・スミスという男が主人公で、改ざんの具体的な作業内容も記されている。例えば、こんな風だ。「3月17日の《タイムズ》によると、〈ビッグ・ブラザー〉(注・独裁者)は前日の演説において、南インド戦線は当面異状なしだが、ユーラシアが近々北アフリカで軍事攻勢をかけてくるだろうと予言している。(注、この国は、戦争は平和なり、自由は隷従なり、無知は力なりがスローガンで、いつも戦争をやっている)ところが実際には、ユーラシア軍最高司令部は南インドに軍事攻勢をかけ、北アフリカでは何の動きも見せなかった。そのために〈ビッグ・ブラザー〉の演説の一節を、現実に起こった通りに予言したという形に書き直す必要が生じたのだ」  

 太平洋戦争中、戦争に負けているのに、勝っているとした大本営発表も、同じ土壌にあったといっていい。だが、民主主義が浸透したはずの現代に、首相あるいはその妻とのかかわりを忖度したのかどうか動機は不明だが、財務省は国有地を格安で売却した公式文書の改ざんという、真理省記録局と同じことをやってしまった。まさかと思っていた「一九八四年」の架空の世界が現代日本に出現したことに、衝撃を受けている。  

 話は変わるが、スティーブ・スピルバーグ監督、メリル・ストリープトム・ハンクス出演の映画『ペンタゴン・ペーパーズ』を見た。1971年に米国防省は4代にわたる歴代大統領時代のインドシナ政策やベトナムに関する秘密工作について調査、分析した7000枚に及ぶ秘密文書を作成した。そこには当然、ベトナム戦争アメリカが踏み込み、泥沼化した理由も含まれ、歴代政権が国民を偽っていたことも記されていた。

 当時のニクソン政権にとって絶対外に出したくない文書だが、その内容をニューヨーク・タイムスが特ダネとして報じた。映画は、ニューヨーク・タイムスが裁判で記事差し止めになったあと、文書を入手したライバル、ワシントン・ポストがどのようにして機密文書を報じたかを追っている。女性社主キャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)と編集主幹ベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)らの新聞経営と報道の役割をめぐる葛藤は緊迫感があり、2人の演技は真に迫っていて現実のワシントン・ポストの動きを想像できた。  

 ワシントン・ポストはこの報道の後、ボブ・ウッドワード記者とカール・バーンスタイン記者による歴史的な「ウォーターゲート事件」の特報を続け、ニクソン大統領を辞任に追い込む。今回の財務省の決済文書改ざんも朝日新聞の報道なしには、表面化しなかっただろう。権力機構はオーウェルの小説のように、自分たちに都合の悪いことは記録を改ざんし、隠ぺいする。陸上自衛隊イラク派遣部隊の日報が隠蔽されていた事実も浮上し、昨年からこうした改ざん、隠ぺい問題が次々に起きている。権力を監視する新聞の役割の重さを再確認する思いである。

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1546 再読『一九八四年』 全体主義の芽がそこに……

607 これも人間の世界 全体主義国家を描いたオーウェルの一九八四年