小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1244 飛び立ったキジバトの雛 鳥たちに見た生命力

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 野鳥が巣立ちをするのを初めて見た。きょう9日夕方のことである。わが家の東側にあるキウイフルーツキジバトが巣をつくったのは5月7日のことで、さらにその後卵を産み、この月の26日には雛がかえった。 それから順調に育った雛たち(2羽)が、空へと飛び立った。

 巣づくりから1ヵ月余、新しい生命は健やかに成長し、私たち家族の下を去った。寂しいような、うれしいような複雑な思いで雛たちと別れた。 キジバトの雛は、けさから少しずつキウイフルーツの枝をつたい、巣を離れていた。毛もすっかりはえて、その羽根の色も赤紫になり、背中と翼の鱗模様もはっきり見え、親バトに近づいている。

 その親バトの姿はどこにも見えない。 巣立ちは時間の問題と思いながら昼間家を空けた。夕方、戻ってみると、2羽はさらに巣からじりじりと離れていく。私は目がクリクリして可愛いいこの2羽に「くりちゃんきょうだい」と名付けたが、そう呼ぶのが不適当と思えるほど、2羽の目は鋭さを増しているように思えた。

 別れの時はそこに来ている。そんなことを思い、キウイの木の下に行き、カメラを構えた。撮影には葉が邪魔だった。カメラを右手で持ち、葉がついている枝をどかそうと左手を静かに動かした。その時のことである。葉の陰になっていた1羽がいきなり、枝から飛び出し、超スピードで空へと舞い上がったのだ。

 初めての飛翔のはずだ。だが、その飛び方は見事で、私はただただ驚くばかりでカメラを向けることもできなかった。 もう1羽は相棒が飛び立っても枝に止まり、動く気配がない。このまま夜を過ごすのだろうかと思っていた。

 先に飛んで行ったハトが巣に戻るかもしれないなどと家族と話し、15分ほどしてから窓からキウイの木を見てみた。すると、そこからもう1羽も姿を消していたのだった。もしこのハトが枝から飛び立ち時はキウイの枝が揺れ、羽音が聞こえると思っていたのに当てが外れた。

 私は、成長した雛たちが初めて飛んだときは近くの木に止まり、自分たちがいた巣の様子を見守るのではないかと想像していた。そこには親バトもいるはずだと。だが、それは野鳥の生態を知らない私の勝手な想像で、雛たち(この表現はもう適当ではないかもしれない)はたぶん、ハトの習性に従って親バトたちが暮らす森へと飛んで行ったのだろう。

 わが家の飼い犬だったゴールデンレトリーバーが死んであと1ヵ月で1年になる。家族同様に暮らしてきただけに、犬がいなくなってから家族のだれもが喪失感を隠すことはできなった。そして、キジバトは1ヵ月の間、生命の誕生と成長を観察させてくれた。それは楽しみの日々だった。

 だから、犬ほどではないにしても家族の喪失感は少し続くかもしれない。 昼、闘病生活を続ける先輩に会った。病気に負けない強い意志を感じ心が和んだ。飛び立ったハトたちと同様、先輩も強い生命力を持っていると信じたい。

「巣立ちたるらし一筋の藁吹かれ」俳人で登山家・福田寥汀(りょうてい)の句。福田は山岳俳句の第一人者といわれる。これまで親鳥に餌をねだる雛の鳴き声が聞こえていたのに、どうもそれが聞こえなくなった。雛が巣立ったらしい。その証とも思える一筋の藁が風に吹かれている―という意味だろうか。

 

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