小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1559 こだまするホトトギスの初音 ウグイス・キジとの競演

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 朝、いつもより早く6時前に調整池を回る遊歩道を歩いていたら、ホトトギス(時鳥)とウグイス、キジが次々に鳴いているのが聞こえた。まさに野鳥のさえずりの協演だ。3種類の鳥が同時に鳴くなら三重奏(トリオ)という表現もできる。しかし、鳥たちは律義に(私の勝手な感想)交代で鳴いている。さえずりのリレーを聴きながら歩くのも、この季節ならではのぜいたくだ。  

 緑の多い地域なら、こんなことは珍しくはないだろう。だが、私の住むのは首都圏である。郊外とはいえ住宅も次々に建ち、緑は次第に失われている。それでも近年、ウグイスやキジが珍しくないほど鳴いている。美しい色をしたキジの姿を直接目にすることも少なくない。調整池に面して森と原野があり、ボランティアがここの自然を守る活動をしている。この活動が実って、野鳥が住みやすい環境になっているのだろう。  

 辞典を調べると、ウグイスとキジは春の鳥であり、俳句の季語も春になっている。それに対しホトトギスは夏の季語に含まれ、例年なら5月中旬ごろから鳴き声が聞こえる。ことしの立夏は5月5日なので、まだ2週間も先だから、ホトトギスの参上はやや早かったようだ。桜の開花が例年よりも遅かったのに、なぜ、ホトトギスの到来(インドや中国南部からの渡り鳥)が早かったのか、よく分からない。  

 ホトトギスはウグイスとは縁が深いという。卵をウグイスの巣に託す托卵という習性があるのだ。ウグイスが喜んでホトトギスの卵をかえしてやるのかどうかは分からないが、ホトトギスは「ちゃっかり屋」の鳥なのだ。ウグイスが初めて鳴くのを「初音」というが、この言葉はホトトギスにも当てはまるそうだから、森からのホトトギスの鳴き声は「初音」だった。早起きしたかいがあった。  

 こういう朝に、音楽を聴くとすれば、やはりヴィヴァルディの協奏曲集作品8「四季」のうち《春》だろう。音楽評論家、諸井誠によれば、四季の聴き方には3つの楽しみ方があるそうだ。1つはオーソドックスなものとして、イ・ムジチ、イギリス室内、マリーナのアカデミー室内などの小編成の弦楽合奏団をバックに、ソロイストの名技を楽しむ方法。2番目は、近代的な大オーケストラをバックに名指揮者のダイナミックな演奏(カラヤンベルリンフィルバーンスタイン=NYフィル等)を聴くこと。  

 3つ目はひとひねりしてジャズの《四季》(カナダ・モーコフマンのグループやドイツのギュンター・ノリス・トリオとフランス・トゥールーズ室内管弦楽団カップリング等)を聴くことだという。私は今、オーソドックスなイ・ムジチの演奏をCDで聴いている。  

 谺して山ほととぎすほしいまゝ 杉田久女

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