「戦争には決断。敗北には闘魂。勝利には寛仁。平和には善意」(『第二次大戦回顧録』より)第二次大戦下、イギリスの首相としてナチスドイツ、日本と戦い、連合国を勝利に導いたチャーチルは、この長文の回顧録によって1953年、ノーベル文学賞を受賞した。この人を描いたイギリスの映画『ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男』(ジョー・ライト監督)を見た。政治家は言葉が武器といわれるが、まさにチャーチルはそれを体現した政治家だった。
映画は個性派俳優、ゲイリー・オールドマンがチャーチル役(この演技で第90回アカデミー賞主演男優賞を受賞)を演じ、1940年5月11日の首相就任からドイツ軍のフランス侵攻で追い詰められた英仏両軍が撤退する「ダンケルクの戦い」までの4週間を描いている。国民の信を失って辞任した保守党のチェンバレンに代わって首相になったチャーチルの前に2つの問題が突き付けられる。1つは、ナチスドイツのヨーロッパ各地への侵攻が進み、ベルギー、オランダなど各国は相次いでドイツの支配下に入り、フランスにもナチスの影が濃くなっている。
こうした情勢下、チャーチルの政敵で戦時内閣の外相を務めるハリファックスは、イタリアのムッソリーニを通じてドイツとの和平を模索、外相辞任をちらつかせながらチャーチルに和平交渉のテーブルに就くよう迫る。もう1つは、フランスの港湾都市ダンケルク(ドーバー海峡に面したフランス北部の都市)をめぐる攻防で、40万人のイギリス、フランス連合軍の兵士たちがドイツ軍に包囲されたのだ。この兵士たちを早急にダンケルクから救出しなければならない。
この2つの難題にチャーチルがどのような答えを出したのか。映画はチャーチルの苦悩の姿を描きながら、歴史の事実を追っていく。チャーチルの半生は海軍大臣として第一次大戦・ガリポリの戦いで多くの兵士を失ったのをはじめ、政治家として失敗を重ねた。65歳にしてようやく首相になったのだが、ヒトラーと対峙するか、和解を選択するかで後世の評価も違っていたはずだ。
結局、「戦争には決断」という考えを持っていたチャーチルは、ナチスドイツと戦い抜く道を選択する。戦時内閣でこの方針を説明したあと、下院での演説はこんな言葉で結んでいる。この演説はチャーチルのリーダーとしての地位を確固たるものにしたのだ。「我々は本土であれどこであれ、前進しつづけ、戦い抜く。もしこの国の長い歴史がそれで終わることになっても、本当に終わるのは我々全員が血で喉を詰まらせ大地に横たわるときだ」
一方、ダンケルクの戦いもダイナモと名付けられた、民間船も徴用した撤退作戦によって多くの兵士の救出に成功する。チャーチルは現場主義をモットーとして、自分の目で物事を確認することを好んだという。ダンケルクからの撤退作戦の直前には小型機でパリに飛び、戦争最高会議に出ている。映画では、ドイツとの和平交渉か戦い継続かで悩んだチャーチルが、国王の助言で市民の声を直接聞くシーンがある。
史実かどうかは不明だが、地下鉄に初めて乗ったチャーチルに対し、市民は異口同音にドイツとの徹底抗戦を訴える。これが、ハリファックスの提案を跳ね除ける力になるというストーリーは、チャーチルの現場主義のモットーを見事に表現したものといえる。
この映画のあと、テレビの国会中継を見た。森友学園と加計学園をめぐる疑惑は深まるばかりで、言論の府における画面のやり取りを見ていてため息が出るばかりだった。首相をはじめとする政府答弁の虚しさが目に付くからだ。若き日のチャーチルは「人間に与えられた数々の才能のなかでも、なにより貴重なのは演説の能力である。その能力を享受した者は、偉大な王以上に永続性のある権力を行使できる。その者は、世界のなかで自立した力となる」と書いている。
この映画を見た知人は、その感想の最後に「政治家に窮極求められるものは学殖・思考力・発信力、そしてそれらに裏打ちされた一念を以ての実行力であり、全世界の今日の指導者の多くは、其の範疇の最も遠い処に位置しているように思われてならないのである」と記した。まさに正鵠を得ている指摘である。
以前、うつ病について書いたことがある。その中でチャーチルについても触れているので、以下に再掲する。
「うごめく黒い犬 友への問いかけ」
友人の一人がうつ病で苦しんでいる。生真面目で正義感が強く、肉体的にも頑健だった。しかし、人のためにと思って始めた仕事の歯車がかみ合わず、心を病んでしまったのだ。
警察庁が7月末に発表した2009年上半期の自殺者(6月末の暫定値)は1万7076人と、前年同期を大きく上回るペースであり、このまま自殺者が増えると年間の過去最悪を記録する可能性もあるという。専門家の分析によると、自殺者のかなりの人がうつ病の患者といわれる。日本はどうして、こんな国になってしまったのだろう。
「ツレがうつになりまして」という細川貂々(てんてん)のコミックエッセーがベストセラーになり、NHKでドラマ化された。サラリーマンとして忙しく働いていた細川の夫がある朝「死にたい」と話し、細川とともにうつ病との闘いが始まる。エッセーは現代病ともいえるうつ病を克服しようと、もがく2人の生活を中心に描いている。
現代日本は心の病を抱える人たちが急増し、自殺が減らない原因にもなっている。自殺者が2008年まで11年連続して3万人を超える日本という国を政治家はどう思っているのだろうか。現代は自分の価値観が問われる時代だ。繊細な心を持つ人には生きにくい時代といえよう。この本は、こうした社会を反映して、多くの読者の共感を呼んだのだろう。
うつ病になった友人は、定年を機に社会への恩返しをしたいと思い、自宅を改装して高齢者や障害者を預かるデイケアの仕事を始める。自分で介護タクシーの免許も取り、ヘルパーも採用した。気負っていたのかもしれない。滑り出しは順調に見えたが、利用者は思ったほどには増えず、運営は苦しかった。やがて、友人は不眠を訴えるようになる。それがうつ病の引き金だった。現役時代、彼の人生は順風満帆に見えた。順調な社会生活を送った彼には、お返しをしたいという強い思いがあったようだ。それが歯車を狂わせる要因になったのだから、人生は皮肉としか言いようがない。
テレビドラマでは、うつ病になった夫(原田泰造)を支える妻(藤原紀香)の気配りぶりが目立った。藤原紀香は夫との生活にやつれた女性を演じ切っていた。本人の苦しみはもちろん、家族の苦しみが彼女の演技からも伝わってきた。友人の家族も彼を気遣い、地方に住む娘さんは、転地療養をしたらと父親を呼び寄せ一緒に暮らした。こうした家族の支えもあって少しずつ彼の病状は好転している。
ここまで書いてきて、かつての同僚のことを思い出した。彼は地方都市に単身赴任し、張り切って仕事に取り組んでいた。ふだんから活動的だった彼は、新しい職場で積極的に動いた。彼の頑張りに対し周囲の期待も少しずつ大きくなっていく。しかし家族から離れ、単身赴任の寂しさを共有できる友人ができずに実は、孤独な毎日を送っていた。そうした日々が続いた結果、彼は欠勤するようになり、心の病にかかってしまったことが判明する。周囲の過大な期待と自身の責任感の強さ。それが負担になったに違いない。
それはかつて言われた「燃え尽き症候群」に似ていていると思えた。辞書には、この症状について「一つのことに没頭していた人が慢性的で絶え間ないストレスが持続すると、意欲をなくし、社会的に機能しなくなってしまう。一種の外因性うつ病ともいわれる」とある。日本の大作家たちが自ら命を絶ったのもこの症状なのだろうか。
玉川上水で入水心中した太宰治、睡眠薬自殺を図った芥川龍之介、市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部の総監室で割腹自殺した三島由紀夫、マンションでガス自殺をした川端康成。日本を代表するこの4人の作家たちは、最期のときにどのような思いを抱いていたのか。
第二次世界大戦で、独裁者ヒットラーが率いるドイツからイギリスを勝利に導いた当時の首相のウィンストン・チャーチルは英国国民から「最も偉大な英国人」と呼ばれる。そのチャーチルはうつ病で苦しみ、うつを「黒い犬」と呼んで恐れていたそうだ。心にうごめく黒い犬と闘いながらも、困難な時代の英国を導いたチャーチル。その存在は心を病んだ人たちには大きな拠り所になるはずだ。