小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1549 春に文句を言う人は トルコの小話より

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 冬の寒い一日、皆は、天気の悪いことをこぼしていた。一人が言った。 「満足することを知らんもんもおる。そんな輩は、いつも不平ばかり言うんじゃ。冬になれば、ああなんて寒いんだと言う。夏になれば、なんて暑いんだとくる」 「そのとおりじゃ」とホジャが答えた。「しかし、春にまで文句を言う奴はおらんて」  

 これは、トルコのナスレッディン・ホジャという人物による202話のとんち話を集めた「小話集」(赤松千里訳、ORIENT社)の121話に出ている。トルコでも春がいかにいい季節であるかを示した小話である。  

 昨日、私の自宅から1キロ程度離れた地域に住む知人が「けさウグイスが鳴いているのを聞いた」と話してくれた。俳句の季語にもなっている「初音」である。私はまだ聞いていないが、間もなく私の散歩道にも春を告げる懐かしい響きが聞こえるだろう。  

 さまざまな花が開花する春を待ち望む人は少なくない。長い冬を送った北国の人々は、春が来るのを待ちわびている。だが、日本の春は憂鬱な季節になってしまった。花粉症である。知人とウグイスの話をしていたら、もう一人の知人が「皆さんは春が楽しいでしょうが、私は花粉症なので、いやな季節なのです」と言った。街を歩くと、マスク姿の人が少なくない。その多くが花粉症なのだろう。  

 花粉症の主たる原因は、戦後次々に植林された杉が成長して花粉を飛散させた結果といわれている。杉に加えヒノキも戦後植林され、これも花粉症の要因の一つになっている。全国に花粉症の患者は2000万人程度いるというから、日本の人口の約16%がこの現代病で苦しんでいることになる。こんな実情を知ったら、ホジャは「しかし、春にまで文句を言う奴はおらんて」という言葉を置き換えざるを得ないかもしれない。  

 ホジャの小話の中には、昨今の世相を皮肉ったようなものがある。「もっともじゃ」(122話)という小話で、考えさせられる内容だ。  

 ホジャが、法官(裁判官)だった時、一人の男がやって来て、別の男を訴えた。その訴えを聞き述べてから、ホジャは、思慮深げに答えた。

「なるほど、あんたの言われることはもっともじゃ」  

 そこに、訴えられた男がやって来て、自分が正しいことを申し述べ、またホジャは答えた。

「なるほど、あんたの言うことも、もっともじゃ」  

 そこにいあわせた、おかみさんが驚いて言った。

「ホジャ、しっかりせんかいね!訴えてる方も、訴えられている方も正しいなんてことがありますかいね?」

 しかし、ホジャは落ち着きはらって答えた。

「おお、おまえの言うことも、もっともじゃ」  

 ホジャという人物については様々な説があるが、最も広く信じられているのは1208年にアナトリア中央のホルトという村で生まれたという説である。その後アクシェヒールという町に移り、生涯をこの町で送ったといわれている。ホジャは子どものころから賢くて抜け目のない知恵のある人物として知られ、その言葉はユーモアだけでなく人々を励ますものだったと伝えられている。ホジャは1284年に亡くなったといわれ、彼が生きた時代は暴君として知られるティムールがアナトリアを征服した。そんな時代に生きる庶民を励ますホジャの話の数々が、小話集として現在まで伝えられているのである。

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